マタイによる福音書第六章1.9~13.26~30
邂逅する。T会長の、ふたつの『遺言』なるもの。
ふたつめのそれ。「否定的だ。」
私が、彼から直接返答された、最後の言葉。
「自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。」
彼からすれば。呼びもしないのに。ひとり勝手に訪ねて来て。床に休んでいる彼に、未だ何かヒントを求めている。
そういう不甲斐なさに、回答したのかも知れません。
あの時が、訣別の時。お二人が、揃いの入院の部屋着で大部屋に入って行かれた。
花束というものは、すごく歓迎される代物です。病院に、お見舞いするに。近くの店舗で購入し。受け取った担当部署の看護師が、若い女子ならば。すぐ、病棟と室内区画を教えてくれます。先ず、花瓶を見つけて。持参の花を数ヶ所に分けて水に差すのです。
「しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」
この章には、祈り方も載せています。
敢えて、記載しません。
各自の問題です。
私は、ここぞという教会に出会うまでが、とても長期間であった。求道者のそれです。
【国難】の時を迎えて。然らば、どう切り抜けようか。
問われています。アーメン