中曽根元首相、死去。
「ロン・ヤス」の間柄を、全世界にアピールしてくれた。
それは、鳥も猶辞さず、もとへ。取りも直さず、『風見鶏』。
戦後屈指の大政治家として。揶揄されようが。聞き流す風格が備わっていた。
戦中は、主計尉官として。今で云う、会計監査だろうか。戦争遂行の台所事情。選挙区からして、酒保糧食だろうか。旗艦を務めた戦艦長門時代からの、戦費調達。
そういうイメージが重なる。戦後も生存した、大和型戦艦登場まで、大日本帝国海軍の象徴。あの、ビキニ環礁水爆実験。それでも、沈まなかった軍艦。
あの巨大なキノコ雲の下。耐えた船体は。そのモノクロ写真は、船霊。鬼気せまるものがあった。
日米の名コンビも、世界の平和の為。映画の都で、戦時下。B級映画と云えど、戦争映画の主演を勤めた俳優。彼が、その国の大統領になった。
ドラマチックなのだ!
二人共、だから。戦争の悲惨と残酷は、あのイギリスのジョンブルこと名宰相チャーチルの遺言、「もう、うんざりだ。」と心中、同様であったろう。
彼が、来日で。首相が殊勝な心掛け。別荘に呼んでのもてなし。和んだね。
その時両者の記憶に、あったと、思う。横浜米軍機墜落事故の一件。最前線の国家機密の戦闘機故。事故の被害者の子供のひとり。確か、首相と同じ名前。
その機体の名も、怪しい。事故原因を回答無きは、同盟国の住民が承知しない。最低限のそれが。ガスバーナーの取り付けミス。そうか、クリスチャンもミスするんだ。
実際、彼らは、波長があったのだろう。大統領もキャリアは活かす。
前職が役者で、大統領役を演じて、最も自然な、老いやすい、もとへ。
負い易い軛ではないか。
実際、若き日のマッチョ。スマートで気の利く会話ができる。彼は、母国の有権者に親しまれただろう。高齢、もとへ。恒例も記者会見でさえ。奥から出てくるシーン。
カラーで放映されても。両ほっぺに。おてもやんの赤い化粧。楽しんでた。老若男女が観る。
暗殺されかかった時。撃たれて、路上に倒れ。救急車の医師に、「君は民主党員か。」
決めたな。
名大統領は、その名の原子力空母が、同盟国の母港に幾度も接岸。
どっちが先か、知らんが。彼とコンビを組んだ。その首相は、名言を幾つか残した。
「不沈空母」、「遠心力」。そして、日航123便の件。「それは、墓場に持っていく。」
いずれも、真顔だった。
舵が取れない不動産は、ロマンチシズム、もとへ。沈む。
「空母化」に目途がツイッター、もとへ。付いた。
どっちが先か知らんが。「求心力」の彼らは、市ヶ谷で眠る。
『防衛庁』は『』で閉じて。「防衛省」に格上げされ。幾度も観た。「防衛施設庁」もできた。
「大勲位」も、引き下がらなかった。「世界平和研究所」を30年、組織した。
骨抜き9条では、『国體』は守れぬ。
100歳までは、気概。見たかったでしょう。
「全生庵」も史跡です。