何か、あるんだろう。
数日前載せた、関東は首都圏。東京都多摩総合医療センター。その敷地外南に、武蔵台公園なる、雑木林が在る。緩やかな斜面に位置していて。下にある、公立学校の生徒も利用休憩できる。
上ての総合病院、そこの職員は勿論。長期入院患者も、病室から見える緑の風景。
その公園縁に野菜畑があり、初めてこの地にバイクで来た時。その畑を公園林と仕切る金網に、警察病院跡とか読んだ。
来た理由は、その医療センターが敷地内にある、或る施設。それが目的であった。
それで、散策しようと。その雑木林内に足を踏み入れ。緩やかな斜面を登った。
病院施設は普通、白である。
毎度。さつまいも形の都は、下町に歴史ある墨東病院。都下湾に接する東の拠点が墨東病院ならば。西の丘陵地帯に構えたは、多摩総合なのであろう。
「警察病院」は、恩師牧師から、ある日聴いた名称にして。それが、我が耳に残っていたのだろう。彼女の前歴、医療従事者時代の、勤務先のひとつ。だったのだろう。
同じ職場でも。会社に社風があるように。警察病院に長く勤めたならば。運ばれて来る緊急入院も含めて。かなり厳格、応対に鍛えられもしようや。
現在稼働を始めた、都立療育が前身。旧府中病院跡地。隣接の夏季への緑の武蔵台公園。その下にあった警察病院。医療関係者ならずとも、イメージが湧く。
そして、そこで就職を果たした。
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現在の警察病院が所在、知ってる。数度、その前を通過した。
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その現場、毎年入札の公的機関故。わずか1年ではあったが。
そこに、導いたは、ならば何。
サムシングエルスではなくて。
サムシングビューティフルであることは、間違いない。
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還暦過ぎて。入院も限りなく日常に近づき。
此の度の、対コロナ禍下。
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『伝説』の美学、とは彼らの為だ。
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還暦過ぎの我には、せめて美徳であれば。
アーメン
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数日前。Wikipediaが、「二十歳」になったそうです。おめでとうございます!
congratulation!
それで。記念の会合があるんだそうです。
対コロナ禍下。
オンラインでの、コミュニケーションだそうです。
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それで。私も記念で。何かひとつ、[時任検索]してみよう。
マリー・キュリーを、しました。
彼女のプロフィール。それこそ、横顔のモノクロ写真一枚。
若い時の、それです。先ず、頭脳ですね、視線が行ったは。あの脳内、如何ほどの知識が、幾重にも。蓄えられた。
額から、目元。鼻の線から、口元。エンジェルディンプル。
顎のカーブから、喉元の細い輪郭。
その線を一気につなげて見るに。美しい。
晩年の、正面からの、モノクロ写真一枚。こっちを見ています。
普通、僕たちは、正面から。至近距離で、見れませんよ。誰か、親しい人が、本人許可受けて。撮ったのでしょう。学術的困難も、歴史的赤貧も、伴侶の事故死、そして母親の悲喜こもごも。
みんな引き受けても、その疲労と戸惑いの表情。強靭です。
彼女の死因、知りました。
彼女の遺言なるもの、知ってました。
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阪神大震災の発生から、26年。
阪神大震災の発生から17日で26年。兵庫県伊丹市の昆陽池公園では16日夕、犠牲者の数と同じ6434本のろうそくを一晩中ともして追悼する集いが行われ、約350人が黙とうをささげた。
集いは、伊丹市のボランティア団体「ユー・アイ・アソシエーション」が震災の翌年から毎年開催し、今年のテーマは「不撓斬棘(ふとうざんきょく)~志を曲げず 困難を切りひらき あゆむ~」。地震が発生した17日午前5時46分まで12時間にわたって明かりをともし続ける。
ろうそくには例年、県内などの中学や高校の生徒が犠牲者を悼むメッセージを書いている。これまでに3度書き、今年初めて集いに訪れたという同市の中学3年の女子生徒(14)は「忘れたらあかんなと思った」と話した。
新型コロナウイルスの緊急事態宣言が兵庫県にも出される中、マスクの着用を呼び掛けたり、受付で軍手を配ったりして感染防止対策を徹底した上で実施。団体代表の赤松弘揮さんは「(不要不急が叫ばれているが)震災を忘れない、子供達に伝えるという意味でも不要なものではない」と強く語った。
17日は神戸市中央区の東遊園地などで追悼行事が行われる。例年、県内各地で開かれているが、今年は新型コロナの影響で中止や縮小が相次いでいる。(時事)
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阪神大震災で亡くなった6歳の長女に改めて思いをつづった。せめて夢の中でくらい、ぷっくりとした丸顔をもう一度見せてほしい-。神戸市東灘区の日本舞踊師範、加賀翠(みどり)さん(65)は震災から丸26年となる17日、同市中央区の東遊園地で開催される市主催の追悼行事に、遺族代表として出席する。新型コロナウイルスの感染拡大で式典の規模は縮小され、遺族代表のあいさつも中止に。それでも亡き娘を「今一度、近くに感じることができた」と前向きだ。(中井芳野)
「本当に優しい子。幼稚園で叱られている友達を見つけると、先生に『そんなに怒らないであげて』って」。加賀さんはアルバムをめくりながら、懐かしそうに目を細めた。にっこりと笑う桜子ちゃんの写真。「もし生きていたらどんな女性に成長していたかな」
26年前、桜子ちゃんは全壊した自宅の下敷きになった。「じいちゃん、苦しい」とそばにいた祖父の幸夫さんに訴えたその言葉が最後になった。がれきの間から運び出された小さな体はあまりに弱々しかった。
震災からまもなく、夢の中で再会できるようになった。大好きだったピンク色のスイートピーを手に走り回っていたり、台所で夕飯の支度をしていると、のぞき込んできたり。一緒に過ごした日々を追体験するように、まぶたの裏で場面が展開した。
そんな中、一家が暮らしていた同市東灘区の森南地区は、震災復興の区画整理事業の対象に。加賀さんは街づくりの方向性をめぐって、市との交渉に奔走するようになった。
悲しみも癒えぬまま、平成21年には支えになってくれていた幸夫さんも、がんにより75歳でこの世を去った。加賀さんは家族を背負い、仕事に家事に、ますます追われるようになった。
あわただしい日々の中で、いつしか桜子ちゃんと夢で会うことも少なくなった。「どうして顔を見せてくれないの」。10年前からはもう、あの笑顔と夢で対面することもかなわなくなったという。
今回、遺族代表として追悼の言葉をしたためる中で「これまでにないくらい26年前を思い出し、桜子のことを考えた」と加賀さん。コロナ禍での異例の追悼となるが「犠牲者の冥福を祈る気持ちは変わらない。大変な状況だからこそ、桜子や亡くなられた方には、私たちを見守ってもらいたい」と力を込めた。
式典で読み上げることはできないが、加賀さんのメッセージは震災発生時刻の17日午前5時46分、神戸市のホームページで全文が公開される。
加賀さんは当日、震災後に生まれた長男、亮(たすく)さん(20)とともに東遊園地を訪れ、生きていれば32歳になるあの子に、こう語りかけるつもりだ。
「やっとゆっくり立ち止まれます。見守ってくれてありがとうね」(産経)
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もう、四半世紀。信じられません。
断片、回想するに。
伊丹空港まで、新大阪駅から。タクシーに乗って、後部座席の、斜め前のウッチャン、もとへ。運ちゃん急かしながら。カーチェイスの、カメラ目線で、空港入口まで。夜のの市街地、突っ走ってもらった。滅多に載れないタクシーですから。
到着するに。ここからは、予約券無駄にできぬ主人公ですから。「ダイハード」よろしく、運ちゃんが見てるぞ。走れ、走れ。兎に角、ドラマチックで行け。
息切れしながら、座席ゲット。スチュワーデスのお姉さんが、仕事明けの帰路か。空席の一席を埋めて居た。やがて、機内に流れるは、機長の。まるで、私をターゲットしたかのような、鎮静の放送。
タクシー代を取り戻そうと、機内でも、オーバーアクション。そこは、畿内。
硝煙立ち込める、神戸長田地区。廃墟と、背景は六甲山。呆然としてからに。国道の上走る高速道の橋桁が斜めに倒れてるを、タクシー拾って。
生田神社参道入口、正面には、菱形に倒壊した社殿。
三ノ宮駅前から、被災民と並んで。バスに乗って。車内から、路上で焚火を囲む市民を見て。何処から電車に乗ったか。それに揺られながら、新大阪駅下車。
千葉県印西、ホテルの朝食。会計で、阪神大震災の募金、数回した。
その折、[拉致事件]の「救う会」の西岡力会長の奉職する、東京基督教大学も訪問。
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