かいふう

近未来への展望や、如何に。

ある日

南高梅と、南高梅。

 

今週のお題「鬼」、参加。

 

クリスチャンの鬼、は居るだろうか。

それが、鬼才に該当する。なら、タラントだから。受け入れもしよう。

しかし、先ず。そんな言い回しは、しない。別世界の話、だから。

ここで云う、別世界とは。宗教界で、鬼は仏教。キリスト教は、悪魔か。

しかし、寛容な仏教は。それさえ、身近に感じられる鬼を、多種多様に、庶民感覚で生み出して来たようだ。

それが、子供たちを健康に養育させる為には。おっちょこちょいな鬼や、少し間が抜けた鬼に登場願って。

節分という行事も。五穀豊穣の、畑の肉とも称される、大豆をもってして。

飢餓無く収穫された豆を投げつける。退散される者、鬼が要る訳だ。

餓鬼、という呼称も頷けよう。ガキの使い、はよう知らん。

何処か、ちぐはぐ。だから、クリスチャンの鬼なるもの。誰も、言わない。

混合せぬがよかろう。

ミルクを飲んで。美味しい、と思う。次に、しばらく間をおいて。

紅茶を飲む。これも、美味しい。想った。

ならば、思想家。彼は、思想するに、ミルクティにして、一気飲みするだろうか。

さにあらず。

二度に分けるより。時間が短縮できる。節約した時間を、思想できるではないか。

昨日往ったは、外科だった。決して内科ではなかった。

緑茶も黙ってはいない。紅茶はミルクティに変身できて。佐藤さん、塩持って来て。

ラニュー糖も活けるのに。

紅茶は、緑茶を説得するのだ。「だって、あなたには、和菓子があるじゃない。」

「それって、可笑しいわね。 」

これを記して。クリスチャンの鬼は不在、証した。お菓子ではない。

駄菓子屋の味方でありたい。子供が買いに来るから。

 

時には、駄洒落屋でありたい。子供が聞いてくれるから。

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ベターな選択。主日の前日故。

さて。ならば、クリスチャンのチンピラはいるだろうか。

それを相手にするなら。きんぴらごぼうのメニューを得意料理にする。そっちを選ぶが、クリスチャンだろうよ。