熱中死、生類を問わず。
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コンビニで、揚げたカレーパンが、好評につき。数個買って、同時買ったバニラアイスとのコラボが美味しく。それへの帰途。道路両脇にある、コンクリ蓋付排水溝。
その白い上に、乾燥体で見つけた。
草花の茂みに逃げ込めば。しかし、為らず。未だ大きさからして。コドモですね。
つい先日も。この道路が反対側で、路上にカタツムリを見つけた。それを手に取って、どうしようか。すると、そんな私を見つけた、眼の前の住宅の奥さんが。玄関前から顔を向けてる。夏休みの少年に還って。カタツムリを挙げると、確認したようだ。
それで、家主の奥さんは優しいに決まってる。その家の、植え込みの草花が上に、彼女がわかるように、カタツムリを置いてきた。
そんな己に、癒されてはいけませんか。
そうです。老人にも、夏休みは要るんです。
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戦艦「長門」の慰霊顕彰祭が29日、山口県下関市の住吉神社で催された。
旧日本海軍の戦艦で唯一可動状態のまま終戦を迎えながら、75年前の昭和21(1946)年7月29日、南太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で米軍の核実験の標的となり、沈没した戦艦「長門」の慰霊顕彰祭が29日、山口県下関市の住吉神社で催された。旧日本海軍の艦艇には、航行の安全と武運長久を祈り、国内の神社から分霊した「艦内神社」が設けられていた。長門の場合は、艦名にちなみ、旧長門国(現山口県)で最も社格が高かった住吉神社の祭神がまつられていた。
長門はビキニ環礁の水深50メートル前後に沈んでいる。米軍の一連の核実験では長門のほかにも多数の艦船が標的とされたが、長門は2度の爆発実験でもすぐには沈没せず、4日間も海上に浮かび続けたという。数時間で沈没した他の標的船と比べ長時間耐えたことから、当時、国内では「造船技術の優秀さが証明された」と話題を呼んだ。
慰霊顕彰祭は、歴史学者で大阪観光大講師の久野潤氏が呼び掛け、地元の関係者ら約40人が参列した。久野氏が「新型コロナウイルス禍に苦しむ今こそ、(コロナ禍以上の)国難に立ち向かった英霊を仰ぎ、日本再生の道を模索しなければならない」とする祭文を読み上げた後、参列者が玉串を奉納した。
住吉神社の社務日誌には、長門に関係する記載が多数残されている。鳴瀬道生宮司はその中で、昭和11年に高橋三吉連合艦隊司令長官が山口県への寄港にあわせて、長門の艦内神社の分霊元である同神社に参拝した記載が残ることに触れ「関係者からいかに大切に信仰されていたかを示すものだ」と指摘した。
その上で鳴瀬宮司は「長門は(75年前に)沈没してしまったが、今も艦内には住吉神社から分霊された祭神がおられると信じている。そのことに思いを寄せ、後世に伝えていかなければならない」と語った。
式典では、戦前の海軍艦船の精密な鉛筆画を描き、艦内神社の分霊元に奉納活動を続けている鉛筆艦船画家、菅野泰紀氏が長門を描いた「憧憬-われは海の子- 戦艦長門2588」も奉納された。(中村雅和)(産経)
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大工、言霊。ならば、船大工、船霊もあり。
戦艦「長門」の艦影が、原爆実験の巨大なキノコ雲の下。モノクロ写真に、ちいさいがはっきり浮かんでいる。
あの巨大な威容を誇る海の城が、だ。
脳裏に焼き付けたが故。絶望するばかりだ。それが、当時敵国が、プロパガンダでもあろう。
少年は、然らば。どうやって、その絶望から、這い出ようか。水爆も実験された。
過去だから、忘却。そう、忘却する。する、という動詞を付けて。年々歳々、離れて行く己を。大事に扱おう。
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発案から、設計。主砲が口径と、基数。基準排水量と、艤装せる総トン数。
旗艦の新型となれば。国家予算からの換算と、将兵の乗組員数まで。
とてもじゃないが。単艦進水だけだは、元が取れない。で、姉妹艦がいる。
昭和の作家の吉村昭。彼の「陸奥爆沈」も、戦時といえども。投錨したは自国の軍港で、何故沈没したか。原因と理由を。
戦艦と云えども。戦場で、満身創痍ならいざ知らず。国内内海で、身内の過失等で、廃艦はない。旗艦兄弟乗組員が、ストレス溜めて。誘爆だとしたら、気化した艦内での恩賜のタバコか。
戦艦大和に、象徴は取って代わられ。次席で、終戦まで生き延びた。
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マグロ漁船「第五福竜丸」が水爆被爆、戦後を生きることになる。
長門の軍艦旗は、俳優石坂浩二が司会のTV番組で、内入札価格と同額で。彼が、呉市の「大和ミュージアム」に寄贈してある。
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フランスのマクロン大統領は27日、訪問先の同国領ポリネシアで、健康被害の補償制度を改善すると表明。
【パリ時事】フランスのマクロン大統領は27日、訪問先の同国領ポリネシアのタヒチ島パペーテで演説し、フランスが過去に核実験を行ったことについて「ポリネシアに負債がある」と述べ、健康被害を訴える住民に対する補償制度を改善すると表明した。ただ、住民が求めていた謝罪はしなかった。
フランスは1966~96年、ポリネシアのムルロア環礁やファンガタウファ環礁で計193回に上る核実験を実施。多くの住民が白血病やリンパ腫を発症したとされる。
マクロン氏は核実験について「(本土から)遠く離れていたので、ここで行われた」と認めた。一方、「われわれが核兵器を装備していることはフランスにとっても、われわれにとっても良いことだ」と強調した。(時事)
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タヒチは、彼のゴーギャンが名画。性格が合わぬ、ゴッホと分かれて。行ったは、南海の自然の風景。彼の原色の画風が合ったのか。温暖な密林に、涼し気な潮風が吹き抜ける。資質よりも、気質でしょう。