かいふう

近未来への展望や、如何に。

マグダラのマリアとマダラのマリア

kaihuuinternet2005-04-28

マグダラは[聖書]に出てくる。[その方]を直接肉眼で見た者。誰が誰に出会うか、知らない。誰が誰に出会えるか、それも知らない。その違いが、その人の信心の可否か、それは知らない。調べる者はそうするがいい。
マダラの方は、出てこない。“グ”が無い。‘愚’が無いから、ソレがある者程悪霊に憑かれはなかったらしい。しかしまた、[聖書]に載る程の信仰もその後の潔白を自ら証する決断も出来ぬらしい。
「マダラのマリアに告ぐ」                                         新世紀の<インターネット>では、この{マダラのマリア症候群}が流行っているようだ。顔が見えない、ネームはどれでも。余程しっかり自己管理しないと、使い方を熟慮しないと、道具に振り回されてしまう危険もある。錯覚に陥る。
まさに≪亡国のネット≫になるのが恐ろしい。ボウコク違いだ。〔防国〕に決まってる。どうぞ、大和撫子諸姉。休息通俗はいい。しかし、停脳卑俗には陥らないでください。感ずいたなら少しでも、そういう輩からの非国益戦略の中での遊離に甘んじる、それを遮断せよ。