かいふう

近未来への展望や、如何に。

『ビシビシ鍛えてやる』

これは、「復元 単立イエス・キリストの教会」、その教会堂を献納した、会長の言葉である。
もう一つの言葉については、自分は公開する義務はない。先の戦争時召集を受けて、終戦直前は内地地方にて、高射砲陣地であった、と聞いた。戦後エンジニアとして、ラジオのパーツの特許を得て、それからの蓄財からも数在る会社に係わり、経営側からも指導尺力された。引退後、私財を投げ打って、己れの信仰の証として、迷える子羊のために、主の会堂を備えられた。
教会堂が出来ても、牧師が遣わされなければ、主の子羊を養うことはかなわない。主は栄光を現すために、もうひとりの方を召された。この方は、看護の長まで勤められ、その後学校にて青少年のケアに携わり、信頼厚い気品ある人である。広く深い母の愛を具現され、厳しいだけでは足りない教会内を明るくされた。
この御二人の、主の栄光と祝福、それを十分に給わり享受したのは、そのひとりは、他ならぬ自分である。クジに当たったのだ、そう信じる。
憐れみ深い主は、自分のような者でも、お見捨てにはなさらなかった。
ましてや、若く如何ほどの可能性を秘めた若人たちよ、ならば尚更ではないか。アーメン