かいふう

近未来への展望や、如何に。

「ぼくの映画史」.その1

木下恵介監督をあげる。「二十四の瞳」は瀬戸内海、小豆島に赴任した女教師の12名の生徒との話。原作者壺井栄の表札を詰め襟学生服着て見たことがある。風雨に晒された年月の角木の表戸、はじめは本人か疑った。通学途中で徒歩の時だ。その後バス、そして自転車に切り換えたので。戦後のこの国の人々が荒涼を、それからの再起をこの映画は全国の子弟や父母に強烈に、その芸術形式をもって示した。未来は子供たちであり、彼らの教育こそ、母国の再興の主要課題であることは、数百万の同胞を失った国民は共通の意思として承知していたのだ。全国津々浦々、映画館にて、国民はそれを同時に分かち合うことを知った。
「喜びも悲しみも幾歳月」は、燈台守である。夫婦が北から南まで、転勤を重ね移動する。風雪に、敵機の来襲やら、息子の死も、そして共に白髪の定年まで、実弟の名曲による主題歌、その勇壮にして熱意ある調べは歌い手の直立不動とともに、鼓舞して止まない。良き伴侶を得て、家族と困難を乗り越え、更にという時代を映す鑑、必見の教科書。同時代の人々がどれだけ励ましを得て決意を抱いたか想像に難くない。戦後日本映画の母。