かいふう

近未来への展望や、如何に。

昭和の「檄」読解後、それから。

kaihuuinternet2006-03-03

桃の節句、三月三日は、端午の節句と並んで、日本国古来の伝統行事、子供が喜ぶお祝いの日である。お祖父さん、お祖母さんが、孫を膝に雛壇前に写真を撮る。
この普通のありふれた光景が、多くの拉致被害者およびその家族会の居宅では、見られることが無かった。そして今に至る現在も叶わない。
耳の日、ともいう。静寂ではなく、拉致被害者およびその家族会、彼らにとっては、沈黙である。耳を澄ませば、悲痛な故郷を想う声々が。
雑音であるいは騒音で、それを妨げ遮断する輩たちがいる。悪戯に耳障りを垂れ流し、望郷の念を発する捕らわれ人たちの、真実の叫びを打ち消して来た。
彼らを奪還するに、現在の既法で、こと足り得るのだろうか。それが即可能なら、何故しないのだろう。もう十分過ぎる程、拉致された、その家族会そしてその支援者たちの訴える大きな声、声を聞いて来たんだが。