かいふう

近未来への展望や、如何に。

カムイとアイヌ。

自然のいたるところに神をみる、とはゲーテの著作の中での{汎神論}であった、と記憶するが。
萱野茂氏は、上記において、自然は神様と述べている。アイヌ(人間)が生活するための日々の食料、それを供給してくれる、その蔵。それ自体が自然なのだから、カムイ(神)です、と。
そういえば、その時のバイト先、「北海道新聞」でした。
途中、近隣自衛隊演習場内で、反対する農家支援の盆踊り大会があると、道内各地から集まって、自分も踊りの輪に入ったが、気が入らず、後で奥さんに怒られた。酪農家は、思想家でないもんね。かくいう自分も{思想}で飯食ってる訳でもないし、ミルク分けて貰える訳でもない。
その地域の新聞紙、購読者は先ず左から読むべしが礼儀だ、という話も来ない。
[アイヌ文化振興法]、施行何年記念で、その新聞社が白土三平著「カムイ伝」全巻、抽選にて12人に贈答配布、という話も聞かない。
いわんや、{カムイ外伝末裔}だぜ。VS相手は{北斗の拳}だったけか。
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青春とは、誤謬である。    ゲーテ
一センチやや超える厚さの、彼の省察録に、見かけました。
小説「若きウェルテルの悩み」を飛ばし読みして、あとがきか、この小説の出た後、ドイツで若者の自殺が幾つか出て、作家の才覚の無い若者が、そんな簡単に影響受けて、と感じました。当時の時代背景も調べずにですが。それで、こちらもコワくなって、彼のそうでない面、すなわち博物学者にして法律の実務家にも関心をもった次第です。その書物の中では、彼は汎神論のようですが。
生糸すなわち絹ですね。養蚕業とは、人体に優しい肌触りの衣製品を生業とするものです。先年、ある地域に行き、その製品、ネクタイ、テーブル掛け、そしてどこかへ紛れたままのティッシュペーパー入れまで購入してきました。職人さんの手仕事もあり、蚕さんの身を切るおもいに、綿花とはちがう、感慨を捨て切れません。
肥やすだけそうしておいて、あとは吐き出させたら、釜茹で。だから、桑の葉も、美味しく育てもするのでしょう。虫の営みも、なんか涙ぐましい。
冒頭の言も、だから若気の過ち、でケリがつくのですが。