川口大三郎之墓、再訪。
奇異に思えるかも知れない。否、[黙示録]には、赤い馬の比喩で出てくる。よって、無関係であろうはずが無いのだ。
また、それに逆らうな。とも、載っている。しかし、そうしたからとて。
彼らが、その無謀な陰惨な行為を。然らば、その中途で止めたか。
そうではなかった。止めなかった。しかも、死に至る道具、武器にしてから。
それを。複数でやったのである。無抵抗な若者を、死に至らしめた。
仏教でも、キリスト教でもない。
その戒律を、犯人は破った。
そして、裁かれた。
いざ、訪ねて見ると。また、塔婆が立てかけてある。真新しい。かってと、同じ方だろう。本日である。午前らしい。
私はというと、路線バス中途停車場で、時間待ち。そこから南下は、別会社。
停車場の棒台座に腰掛けても、タクシーは、1台も見なんだ。それで、南下する別会社の定刻バスを、待っていると。
訪ね人と同名字の、停車場前に自動車販売店の家屋。その外階段を上がろうと。家人が出て来た。声をかけたら、振り向いて。彼の名を呼んで聞くに。
「嫁いで来た者ですから。」
修善寺から往復するバスに乗って。去年の19号台風の話題をすると。バスは、経由停留所から循環で、見知らぬバス停を走って行く。坂上から下るので。やっと、去年の崩壊箇所が想えた。
去年は無かった、黒塗りの長椅子が二台、墓間に置かれてあった。コスモスの花は切られて、ない。
さて、帰るバスの時間まで。去年からの宿題。その家を探して徒歩。見つからない。
時間に追われて。思しき敷地内に足を入れ。曇りガラスにセーターの色か。外から叩くと。主人が、玄関まで出て来てくれた。。彼が言うに、女名が、転じての名字を付けたわさび園などない。つまり、訪問者の勝手な空想の類は、即座に否定された訳だ。
わさびの里で、数十年。清冽な川の源。澄み切った豊潤な霞の夜明けと深緑の懐で。鍛えられ、研ぎすまされし感性は身体に行き届いて。
祝福感は並でない。生命力は十分担保されて在る。
勝頼公の大善寺。生害石まで話したか。お土産まで頂戴してもろうた。
景徳院は、勝頼公終焉の地。
山梨所縁の農家が歴史的点在してる証左。
「乾徳桃 露天童参 景徳濡」 「白ヘル雨 同色旗陣 ち代桜」 豆人こと梅干爺
帰路。全く去年と同じ、時刻経過。
そうだ。オリ・パラリンピックの横断幕、今年は見んかった。
中止してからに。だが、来年決めたはずなのに。
寺、本堂。訓話の表題。「人間は、生かされて 生きている 存在である。」
その住職さえ、スーツ姿を一瞥した。
川口家の菩提寺までの下り坂。子犬を連れた老人が居た。私も同類項。なので、下りた地点で気安く話掛けると。先程のお土産を持たせてくれたご主人と同姓。
眼前の公民館の入口ガラス戸には、相変わらず。津川雅彦さんの拉致奪還のポスターが、外向けに貼付してある。
地元の長老との会話は、無駄な時間を割いた。住職を見掛けたは、この時である。
定刻の乗車バスは、前回と逆回り。どうにか、貴重な一本に乗れた。
私にとっては。 川口大三郎なる若者は、不老不死の存在なのである。
仏教の宗門に眠るとはいえ。不本意死なるが故。
殉教と呼ぶには、余りにも若い。殉職には、未到。ならば。
未来ある、次世代若者たち。彼らの二十歳の一里塚。未満の若者たちを牽引する、灯台守にも、譬えられようぞ。
彼に対する不当な評価。それを払拭する為にも。再訪に及んだ。
輩どもが、この愚行と呼ぶなら。
神も、その範囲内でもって。神の愚かさと、許容してくださるに相違ない。
今日は、主日でもあるのだから。 いとま乞の秋
アーメン
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塔婆が立てかけてある。真新しい。
その施主、▢▢▢▢▢。彼女が誰か、推定した。
多分、彼女だろう。
二十歳の死にはロマンティシズムは要るのだから。
そのヴェールは要るだろうから。