かいふう

近未来への展望や、如何に。

あるベトナム人の死。

日本在住のベトナム人若い女性が殺害された、紙面を読んだ。派遣社員もしたが、最近は自宅で内職だった、そうだ。故国を遠く離れて、この国にも同郷の友人知人が少数だが居ただろう。日本語習得は容易とはおもわない。しかし、TV番組観てる限り、この国の平和と国民の常識には安心感を抱いていたとおもう。しかし、それ観てるだけでは、生活は出来ないし、未来設計も見えないだろう。
若い人の、異国の不慮の死を、悼む。それが、殺人の被害者としてなら、なおさらではないか。犯人が通り魔でないなら、彼女の孤独は底知れない。
その国の体制が如何なるものであっても、より良い生活を意欲し、母国の将来の発展と前進を夢見るのは、若者の特権である。彼らをひとりでも失うは、その国の損失である。悲しい。嘆く。
何も出来ぬ自分にも。こういう暗いだけの事件は。異国の老人が、彼女の名をたとえ記憶しても、しなくても。
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加えて、例外はあるものです。その映画の主人公に、重ねる時がありますね。そういえば、この主人公も、そう利用しました。もう、どんな死に方したのか、記憶から消えましたが。
同様の出会いがあって、ぼくはピエールだな。彼の状態がわかるような気になりました。時々偏頭痛します。原因は、おそらく、あの時の後遺症でしょう。そこの脳細胞が死滅してしまったのかも。気化したガスを、タンク内から吸い込むんではなかった。他人の指示でも、先輩の彼を責める訳に行かぬ。もう時効でしょう。
ピエールはフランス人なんでしょう。なんで、ドイツの俳優が演じるんだ。回想の木の元の少女はベトナムの少女で、それを撃つパイロットのピエールは、アメリカ人ではないはずだ。
しかし、そこは、かって仏領インドシナでもあった。観客は、国籍が絡まって、いやだからこそ、寓話として、すんなり受け入れざるを得なかった。モノクロが威力を発揮した。髪の色、目の色、を消して。真っ白な気持ちで観た、のだとおもう。
もうひとつの「父の不在」とは、戦争をしでかす人びと、それを制止しようとしない、マルグリット・デュラスのシナリオ、アンリ・コルビが初監督「かくも長き不在」の「父」ではないのか。
こちらの父とは、いわゆる神で、戦争の間、神はヨーロッパに居なかった。何処かに隠れていたか、留守にしたんだ。
二つの不在を重ねたんでしょ、とインタビューで問うても、答えんだろな。
主演女優は「第三の男」のアリダ・ヴァリ、カンヌのグランプリ、だそうです。これらを加えて、洋画ベスト5とします。
シベールの日曜日」、この映画監督が、ならば、カトリックか、知らんが。出演者全員クリスチャンと違うか。すると、クリスチャンたちが作った作品に、魅せられたことになる。この結論に、どう答える。