かいふう

近未来への展望や、如何に。

TVの面目躍如.その36

NHK教育「ひばり」
午後10時〜翌1時10分
「ひばり」と名をみて、よくわからず、紙面を追うと、戯曲作家名、出演者、そして演出で、感づいた。舞台はさほど大きくなく、四角い空間に、松たか子さんが居る。グレー上下のシンプルな服装である。彼女の背後天高く、幅の細い白い十字架がそびえるが如く在る。
本当に、そう。そんなに彼女若かったっけ。もう訴えはじめている。父に、そして母親に。次々に、わかってもらえない相手が出てくる。そして彼らは離反していく。
とある村の田舎娘が、突然何を言い出したかと思いきや、その地の領主、さらに国王まで謁見して、彼らを口説いてしまう。いや失礼、ジャンヌ。説得してしまう、のだから、痛快極まりない。それも、あわよくば情欲の対象や権力欲のそれにしたがる騎士や王位をいただく者たちだ。
まるで彼女だけが、時代を超越したかのごとく、孤独を身に引き受けて立つ。
ひとつの単純な式で宇宙の謎が解けるとしたら、誰が何人同意しただろう、少なくともはじめのその時に。アインシュタインは舌を出した写真のカットで、白髪の己れを表現したが。
純真な少女には、大天使ミカエルと聖女マルグリットと聖女カトリーヌが味方であって、異端審問官や聖母教会の司教、ましてや英国の教会の聖職者も、彼女をわからない。
致し方ないことだろう。彼らの何時からか知らぬが、その地位までの日々、祈って、来たのだから。それまでの戦乱、日照り、河川の氾濫、疫病、それらに悩まされながら、それでも祈って来たのだから。年若い少女が言い出したことを、己のまとった権威や訓戒、忍耐が退けられてはと激しく論議しても、わかる。
当時、魔女裁判は決して珍しいものではない。誤審もあれば、誤判もあったろう。今回もそれだ。それでいい。そう彼らが判断しても、構わない。普通の人はそれであって、魔女でも聖女でもない。自分と違えば、それが多数に依存すれば、追放してもよい。
実際、ジャンヌが「聖人」に列せられたのは、つい此間ではないか。その間、ヨーロッパはマルキシズムとナチズム、そしてスターリニズムに席捲、蹂躙されたのだ。何百年だ。
この舞台は、この国の首都の繁華街の、今世紀になって、上演されたものだ。やっと、というべきか、それにイメージする女優を得なかった、というべきか。
十字架の横に、ジャンヌの甲冑のおかっぱ髪の絵が添えてある。亜麻色と金髪の違いは判らぬから、だとしても、松たか子さんが演じるは、黒髪である。それもボーイッシュだ。そうだ、男勝りでなければ、騎馬にまたがり、進軍など出来るはずがない。対峙した敵軍に、馬上から軍旗を掲げるのも腕力だ。
先年の新作喜劇で佐々木小次郎を演じた益岡徹さんが、聖母教会の司教で白髪に帽子。芸域広げた、と感じ入った。
近年「ラ・マンチャの男」で親子共演を果たし、その役でもこちらも芸域広げた女優さんが、少年のごとく切った黒髪で演じた「ひばり」の「聖人」。
時に長老かの言葉をも発し、使い分け、権力者たちとの説得に苦労する聖なる少女を、よくも演じたと、拍手喝采します。難儀な過程です。なにせ、国を救う覚悟での発心、の役ですから。
折りしも、伝統あるパリのオペラ座での、歌舞伎の初演。NHK.TV「風林火山」に信玄役で出演の若手も参加しての、市川団十郎親子共演。
この舞台も企画にNHKが加わり、全国TV放送され、松お姉さんがきらめく記憶を少年少女に残したであろうことは、確かなことでしょう。ジャンヌをかくも演じた日本の女優を、まだ知りません。