かいふう

近未来への展望や、如何に。

新潟県中越地震から、3年。

新潟県中越地震発生から丸3年を迎えた被災地では23日午後、犠牲者を哀悼するイベントが各地で行われた。

長岡市の「千秋が原ふるさとの森」で開かれた復興式典では、中越地震の犠牲者数と同じ68個のキャンドルがともされた。

兵庫県や東京都・三宅島から被災者と交流があった3人の参加者も加わり、地震発生の午後5時56分に合わせて1分間の黙とうが行われた。

小千谷市では、人と人との結びつきをテーマにした5000個の灯籠(とうろう)が市内の商店街などに並べられたほか、最大震度7を記録した川口町の川口中学校では、ロウソクで「にいがたからみんなえがおに」と火文字をつくった。(読売)
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捉え方によれば、自分も間接的において被害者である。詳細は差し控えるが、意識のみならず、それは否定しない。
企業も、それに勤務する労働者の居宅も被害を被った。慣れ親しんだ風景も、愛着ある家財も消えてしまったのだから。
そして何より、68人の犠牲者は痛ましい。お悔やみを言わねばならない。
あれから、もう3年も経過してしまったのか、と感慨にふけりたいが、その後能登半島地震、そして更に中越沖地震まで来ると、疲労困ぱいが正直な回答なのである。震度7というは、自分は体験がない。
被災地住民でない者がこうであるから、現地被災者の方々の過労と喪失感は如何ばかりであろうか。