かいふう

近未来への展望や、如何に。

ログインしないで「はてなハイク」を見た。

kaihuuinternet2008-01-12

三年も使用してると、使い勝手というか、リアルタイムというか、わかってくる。
ブログ、という新形式を使用して、何かを伝えるという行為は、そのものの価値がわからぬので、有神論実存主義者の先駆たる、キルケゴールの言葉にならい、冒険を敢行したのであった。
その言葉は、自分で(この場合は確かに関西で使う呼び方)探せ。
つまり、自分は(この場合は確かに関東で使う呼び方)、ブロガーの先駆者たらんと、タレントが足らんのに、欲した訳だ。
しかし、生まれも育ちも、北欧でないし、新世紀には突入したし、諸問題も山積は、時代が変わっても、変わらないし。
はてなハイク」もまだひと月経(つづけて読むのは誤読)ただけだし。ミニブログと謳うからには、どんなものやら。新時代を予見するパワーが、若さであるかしらん。
ハイクは俳句、とは違うようだ。とにかく、ここにログインするのは、しばし待て、の感覚。
おじんはご隠居さん扱いされる懸念もある。
それで、[キョウ言]の項目で載せた。それの方が無難だろうが、キルケゴールさんからの、霊感によるかよらぬかの、案内であろう。
若い人の、落書き帳兼伝言板なんだろうな。

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http://retired.at/ というURLも見つけてしまった。
若気の至りでは断然ない。若禿げのそれでもない。
本日は土曜日だ。ご隠居クリスチャンが、ゆーゆー自適でも好いじゃん。

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この頃は、検索も難儀になってきた。それで、検索した事項を、
[時任検索]で絞ってみよう。幾つ残るかな。
志賀直哉「暗夜行路」は、昭和の時代には、金字塔と称賛されもした作品だが、後年評価も違ったようだ。
しかし、それでわかったことは、批評はそれ、創作ではない、ということだ。
この小説、自分が学生の時、古文の女の教師から、夏休みのお薦めで教室で言われた作品。同じクラスの何人が素直に読んだか。随意で、宿題でもなかったように記憶する。
再読はない、だろう。その時間があるなら、ボーヴォワールの「老い」を探して読む。まだ古いダンボールだかに入れたまま、見つけてないが。誤解なきよう。彼女が、無神論か否かではなく、どちらでも「老い」は来るから、だから。

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およそ、エロスをアガペと錯覚することが、誤謬なのだろう。
いいえ、アガペをエロスと錯覚しても、同様。
未熟な者が、それゆえ、それを錯覚するも、同様。
アガペが要ると、その対象を探して、シスターの居る教会に通うだろうか。不純だろうな。
御免なさい。カトリックでない者の言い分に過ぎない。

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たとえば、若い結婚で、今風に言えば×いちでも、そんな女にエロスを感じる男がいるなら、その女にアガペを告白しても、偽っているのは、男の方になる。
幸福の追求は、この国では、憲法もに保証されてる事柄だが、愛し合ってるカップルに割り込んで男がいるなら、皆が不幸になる。
皆が不幸になる、ことをクリスチャンがするだろうか。
だから、言葉が、告白が、それを助けるのだろう。もう愛してないとか。まだ愛してるとか。
では、誰が偽ってるかだ。
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『暗夜行路』は、原作は読んだのですが、イメージが湧いてこなかったので、こちらは観てません。それだけ、島村の池部良が適役だったからでしょうか。それとも、自作の主人公はそれほど上手く演じられなかったと痛感した原作者の、俳優という職業に対する懐疑を持ってしまったのでしょうか。オレのは成り損ねたな、とか。
小説の神様、には、耐えられなかったのでしょうね。小説、それ以上でなければ、という作家の大切な創作物が、俳優の身体を借りて具象化された途端、かえって損傷を被った。化けられちまった。
映画監督と役者たちに、どうにかされちゃうんだ、という感慨。