「 助かるパスカル」
同じ人物とは、思わなんだ。
「パスカルの原理」と、「人間は考える葦である。」
サトーさんも、スズキさんも、タカハシさんも、ヤマモトさんも、いる。
理数系なのか、はたまた法文系なのか。同一人物の頭脳から、生まれたのであれば。
どっちに感心するか。それで、その彼の進路、志望がはっきり見えてくるかもしれない。リトマス試験紙を、パスカルさん経由で、手にしても。何ら、問題はない。
問題は、そこから。一体、何時、何処の人なのだ。彼の残された思索「パンセ」は、
私的に、考えたコンテンツが近い。うれしい。居てくれた、って感じ。
Wikipediaに載ってる、「パスカルの賭け」は、安易な神秘主義より、信仰途上の方々にとって。準急以上、回送未着。
半世紀前、「信仰は、気休めだ。」と言ったこの国の右翼の有識者が居て。
しかし、パスカルは、その気休めでもいい。信仰を持って生きる方が、ベターだ。
信仰する、は。祈るとセットに捉えている。勿論、主の祈り、は言う。
簡略に言えば。10年間、祈り続けて来て。反省でもいい、する時に。
祈って来たよな、と回想する方が。気持楽だろう。
しなかった、はそれをミスした。「今昔物語」、もとへ。『今更物語』
貯金、ならぬ。貯信があってもいい。
老人を、認めます。はい。