かいふう

近未来への展望や、如何に。

「復元 単立イエス・キリストの教会」 教会史 その3/ 記憶から、「記録」へ。抵抗せる実存。

イエス

□1991年1月1日  主日


 賛美歌 444   頌栄 539
 詩篇 1      ヨハネの黙示録21章1〜4

 「神が人と共に住み」とは、信仰の奥義。毎日が決断。純粋性を保つ勇気。何ものも恐れない、御心じゃないことは、断固拒否。
 『先のものが、すでに過ぎ去ったからである』という断定。十字架の道こそ、恩寵に対する。

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聖母マリアに軸足を置く教会がある。例の、『更新』の件、宗教とは、そんなもの。ってな訳で、諦念してしまう。それは、同意不可。ならば、別離の方が、未だしも。
拉致事件】の解決に向けて。共闘はもはや、意識しない。
あらぬ事を吹聴してはばからない鼻つまみ協会もある。その強請集り体質からの『白昼夢』。これも、もはや呆れ返ってる現状。記憶に留める意思はない。
意識も記憶も、私のキャラクターやパーソナリティに依る。本人の問題である。そして、アイデンティティは、対一党独裁国家等。不穏な国際情勢に接した、【国難】に備える日本人でしょう。
それらと違うを信じるならば。そうあらねばならぬだろう。己を偽らない。これは大切。
毎度、爽やかな朝を迎えるには。もう、そのような「峻別」も要る。[地の塩]を舐めて、幾歳経っただろうか。
還暦以降、生前葬未満の昨今。これって、実存なんです。