当然、この国の「祝日」である。
祝う、事の意味。問う、のか。問われるのか。
「建国記念の日」という、名称。
白樺、もとへ。然らば、これを、年一回おもうは、何故か。何の為か。
やはり、亡国へと終息する事。それを阻止。腐食、退廃するのを、避けたい。防御したい。祖国母国への、おもいでしょう。
個人差があって。しかも、主観から逃れられない。
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従いまして。
【国難】から、古人、先人の教訓を得て。それらと対比、比較して。迎えた「令和」という時代、を。
この日に相応しい人、のそれが。最もわかりやすい訳です。
「南溟にたとへこの身が果つるとも いくとせ後の春を想えば」
この辞世の句の主は、その証たるは、現在沖縄の摩文仁に建つ福井の塔に在ります。
フィリピン、レイテ島、タクロバン沖にて戦死。
この将兵の方は、「関行男大尉の時の、同僚飛行士」ですから。いつか、そのフィルム見てください。二十歳未満。
私は、少なくとも。戦後「昭和」の春を迎えました。そして、「平成」のある意味春を享受した。更に、還暦を越えた「令和」。
想うは、彼の眼差しです。
本来ならば。その年齢から数倍。その歳から還暦までも生きられるのに。
その解答を、問いかけているか。ごときの、彼の眼差し。
私も、その返答を求められている。
そう、想います。
若い彼は想いました。
私も想います。