『 反面教師』と、「半面教師」との違い。その1
これはもう。本人が、パウロにも、ヨハネにもなれなかった。それ故の、結論なんであって。
求道者の若い彼らに。『君らは、その当時の当事者ではない。のだから。』
『責任も無けりゃ。負債を返す義務も生じない。そんな訳ない。』
『だから。『時代劇』のつもり、で聴いてくれ。』
大雑把に云うと。時空の距離感。空白や断絶があるんだ。了承してくれ。
そこから話始めている。
時代劇と云えば。ここでは、白虎隊をあげる。
古今東西。インスティテュートがある個人は、IQが高い。故人でさえ、数百年経てさえ。出版されても。それから、絶版の時代、焚書の対象になろうと。後継者が出れば、国籍問わず、再販され、再評価の後、古典になる。
「もっと光を」、この遺言のゲーテも。そのひとり。
その先人の、IQか、EQか、それともSQなのか。よう、わからん。
私には、時代劇映画「白虎隊」を観た記憶はないが。スチール写真とかで、その映画会社が、映画スターを育てる為、デビュー作で、共演させる。
戦後、荒廃した時代に。それこそ、歴史の苦難を、民族の興亡を。同朋という視点で、共感をば共有する手段、方法に。劇映画は、すぐ感情移入できる、大衆娯楽であり、伝達する興行ではあった。
ドラマツルギーとは、性格が相反するというか。彼らの会話であり、時として対話。
状況であり、情況でもあり。そうやって、暗い史実は、クライマックスへと。
先に売れたは、雷蔵(以下呼び捨てご容赦)の方で。急いで云えば、ヨハネ型。
雷蔵も、晩年は、山本薩夫監督のリアリズムで「忍者」ものに至る。
時代劇があるが故。この国の「殺陣師」は、やはり別格扱いなんだろうな。
全盲の放浪者が、独り集団悪に挑むは、どう観たって。翻案だよな、パウロ型。
従いまして。「忍者」も、「超障がい者」も、「半面教師」足り得る。
訳であります。
クリスチャンの端くれ、マッテヤが、「健常者」と、「障がい者」との間で。
調整役を買って出た訳で、あります。何卒ご理解給わりますよう。
以上。時代劇でした。
今、現代ですね。紛れも無く。
アーメン