かいふう

近未来への展望や、如何に。

ある日

 

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星条旗

 

アメリカ副大統領候補TV討論会。ライヴ視聴

 

アメリカンドリームは、未だ生きている。』。それをイマジンしたいが為。

スマフォで、時には、耳元に近づけて。現副大統領と、民主党女性候補との舌戦を、視聴した。要は、民主党女性候補が、数年以内に。

大統領として、国民に記者会見してる。そのイメージで。

同盟国民から、『アメリカンドリーム』を夢みた。この女性候補が、大統領職に数年耐えられるか。民主党の大統領が誕生して、1年程して。疲れたから、リタイアします。

では、お願いします。副大統領さん。

大統領の妻が。旦那の代わりに、立候補して。アメリカンドリームを、具現する。

ちょっと、待って。それ、『劇映画』じゃない。

確かに、史上初の女性大統領誕生。そのチャレンジも、また史上初だった訳でしょう。

スーザン・ボイルの「アイ ドリームド ア ドリーム」(^^♪が、聴こえたか。

ジッと、聴き惚れる美徳もあろう。美声だから、太った女も美しい。

伴侶のスキャンダルにジッと耐えて、代わって出馬。最後まで健気に母国と国民の声援に応えて。見惚れる美徳もあろう。スキャンダルを許す、ゆるキャラも美しい。

アメリカンドリームは、未だ生きている。』。それだけでも、諸外国へも知らしめたい。

その、潰えた夢を。再度、今度は。民主党副大統領候補、という形で、出してきた。

そのイメージは、B&H・クリントンオバマ。そして今回女性候補者に、バトンタッチされてある。

お国柄の違いは、あるでしょう。政(まつりごと)、に観える。日本人からは。選挙権ねーし。

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自国民が、21万人コロナで、死亡。

これは、大いなる政治的反駁の、対象ですよ。ライバル政党が、そこを突いて来るは、必携。スマフォですみません。

ライバル政党が、失点なんだから。

ところが。その【厄災】で、緊急入院。シカゴ、もとへ。しかも、国民の負託に応えんと。たった数日で、劇的に退院。大統領執務室へ生還。

ホワイトハウスに戻ったミスタープレジデントの毅然とした敬礼は、絵になりました。

これ、『劇映画』でしょう。

怒鳴ると、もとへ。ロナルド・レーガンは、日本近海を泳いでいます。

何を遣すか、とおもったら。横須賀は、米原子力空母が母港です。

「港のヨーコ、ヨコハマ、ヨコスカ」(^^♪は、ご当地ソングです。

ドナルド・トランプロナルド・レーガンから、何をバトンタッチされてあるんでしょう。同盟国人は、彼らの名前から、「言霊」をイメージしましたか。

現政権も、イメージ造りに躍起です。こちらが本家、と言わんばかり。

 

 

 

 

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ノーベル賞週間。

 

川端康成が我が国初受賞で。「山の音」をいち早く読んでいた私。目指したが、ダメでした。彼の、若い抒情あふれる「伊豆の踊子」。新人女優の登竜門として、映画界にも貢献して来た。次は、対照的な大江健三郎。「死者の奢り」はラジオ放送で聴く。

「飼育」は、大島組のモノクロ大画面で観た。

沖縄ノート」で、取材不足か。コケましたけど。

先日、税務署に行った時。並んでた戦中派の方。「死者の奢り」の場面、で出て来るような解剖医。彼に言った。「谷崎潤一郎の、「春琴抄」って、アンチ・キリストだから。受賞は絶対ありえない。」。耽美派だからでなくて。ああいう作風は、受け入れないんですよ。

納税額の積算で云うと、彼の方が、格が上なんだろうけど。クリスチャンの端くれは、頑固に云った。

法曹界でもなけりゃ。文筆業でもない。

たかが。吹くば飛ぶよな、自称無償ブロガー。

読んでもない作家の、文学賞受賞に、何も言えません。

本年は、米国の女流詩人。

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「狭き門」、小説である。読み終えた時、主人公がヒロイン。修道院に入って、悲しみのプラトニックラブ、で終わる。悲恋なんだな。それで。妹に譲って、姉が神に仕える道を、選んだようです。設定が従弟なのか。本当は、欲望があるのに。少年から、もっと積極的に来てくれない。そのもどかしさに。これが、カトリックの厳格さ、なのさ。そういう時代もあったのだろう。戦争、そしてまた戦争。ヨーロッパ大陸の陸続きなんて。

この作者は、ノーベル文学賞を受ける。この作品も含めてか、知らぬ。

晩年、彼は破門される。他の作品で、余りに赤裸々に、自伝的。クリスチャンらしからぬ告白を記述してしまったが故。神父連から、カトリック外へと。

今風に云うと、カミングアウトした。

しかし、作家たる彼も負けてはいない。実は、この悲恋は、カトリックへの批判なんだと。確かに、姉妹と少年の、トライアングル。小説の設定はよくできてる。

しかし、その葛藤だけでない。何かは、違和感感じた。譲る姉の引込み思案、だけではない。修道院に押さえ込んでしまう、というカトリック固有の頑迷。

信者が、信仰高いが故。所属する教会をば、批判に及ぶ。よくある話なんだな。

「忘れられた人びと」等、シュールレアリスム映画監督も、信者のくせに。己の教会の批判を、平然とする。流石、2000年の歴史があると。信者の方も、幾世代。献金額も並でない。ましてや、売れて、高額ギャラでのそれならば。

淡い清い初恋か。ならば、ヨーロッパ、カトリックは。そういう事例もあったので。提供、描写する大人の作家は、少年向けに、書いたのでしょう。

読む少年は、そこまでの意図、気付かなくとも。どちらでも。

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世俗の中に、佇立する教会。尖塔を仰いで。尚、信者が行くは。何を以って。