かいふう

近未来への展望や、如何に。

【死者】と【死者】

こちらの例は、人が対称だから、もっと深刻だ。近くの建物に入る、ここまでは同じ。{霊安室}がある。しかし今度は、部屋が二部屋だ。前の部屋に入る。台座に【死者】が在る。それで、凝視する。これも、ここまでは同じ。ある時間が経過後、隣り部屋に移る。台座に【死者】がある。これも、同時間経過後、退出する。
次に移る。部屋も移る。机の前に案内されて座る。どちらの{霊安室}にも見たものは、と問われて、そのどちらも【死者】です、間違いありません。それぞれの部屋に在室したある時間、特に手首の脈を、あるいは鼻からの呼吸を確認した訳でもないのに、入り口に見た{霊安室}の表札から、まさかマジックミラーあるわけないと、そう答えるだろう。どちらも【死者】という[事実]を認めたことにしよう。この時点で、まだ実害無いから。
質問はこれからだ。ある資料が配られる。ある時間で読めという。どうでした、違い判りましたか、と聞かれる。それぞれ仕切ってある意味解りますか。ここで、無回答だと、不適格という訳になる。前室のそれは{被害者}、後室のそれは{加害者}と回答すれば、[事実]、そしてそれ以上の[真実]を質問者と共有することに相なる。理由を更に問われて、前室の【死者】の傷は刺し傷、後室の【死者】のそれは銃創。それは資料の[事件]の犯人が刃物を持って警官の正当防衛で死亡、という記事でわかる。別部屋仕切りは、複数遺族への配慮というわけだ。ここでも、事実そして真実は違う、となる。建物から出てくる。{検死官公開模擬試験会場}
たとえば新聞記事を見る。様々なそれが見受けられよう。それの見出しだけ、あるいは本文、どこまで読解するか、読者の自由である。10年前の、同様な記事を、もう鵜呑みにしないぞ、の気構えで接するも否かも。
そして誰もが知ってるのは「月光仮面」、まかせでは済まない、その真実。しかもその真実に、{恐ろしい}がドラキュラのようにへばり付くことだ。その怪奇は、何百年前の東欧の話で終わったか、だろう。アジアに現在それが無いと、言えるか。それに、では誰が立ち向かう。