かいふう

近未来への展望や、如何に。

「腐ってもタイ」と「タイ焼き」

kaihuuinternet2006-02-18

誰かに路上で呼び止められて、近くの建物に案内されて、『あなたにタイを一尾あげる』と言われて、どちらか選べと問われたら、どうするか。
鱗の付いた方は、滅多にお目にかかれる代物ではない、それ故目利きが分からぬ。本当に腐っているのか、どこまでそうなのか。五感を働かせても、特に嗅覚を。持ち帰って部分を除いて、残りを調理するか。片や焼いてある方は、見慣れている故、尻尾までアンがありそうだ。それに、すぐ空腹を満たすことが可能だ。
どちらも「タイ」でしょう、先ず頷かないとご馳走させない、とせまられれば、そうする。そうした後で、両方よく観察して、両方棄権してもかまわないからだ。頷くと、どちらも「タイ」という[事実]を認めたことになる、少々強引だが。しかし、この時点で未だ実害無いから。
次に移る。ここからが問題だろう。いきなり携帯が鳴って『あなた、夕飯はお寿司よ』となれば、中途棄権で、終わる。しかしそんな相手が皆無であれば、やはりどちらかの「タイ」は手土産にしよう、とおもう。それで、凝視する。大分腐っている、片や尻尾までアンがある。どちらも当人の判別に過ぎなくても、だ。調理師の免許でもあれば別だが。すると、目利きの[真実]が問われる。経験や勘というものは、その道のベテランには恐れ入るものがあるが。それに携帯無ければ、はじめから鳴らないね。
自分は「タイ焼き」取る、とおもうが。とすると、自分には「タイ焼き」の真実しか手に残らない訳だ。だから、事実そして真実は違う、となる。