かいふう

近未来への展望や、如何に。

「イースター・エッグ」

kaihuuinternet2006-04-16

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 復活祭(ふっかつさい)はキリスト教典礼暦における最も重要な祝い日で、十字架につけられて死んだイエス・キリストが三日目によみがえったことを記念する。典礼暦においては復活祭からペンテコステ聖霊降臨)にいたる二ヶ月間は「復活節」と呼ばれる。「復活の主日」、あるいは「イースター」とも言われる。復活祭そのものは移動祝日といわれるもので、その年によって日付が変わるが、基本的に「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」に祝われている。(復活祭の日付については後述。)

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■墓が空になっている

エスの死を看取った3人の女性は土曜日の安息日1日をおいて日曜日、イエスの死体に香油を塗ってあげようと思い、墓を訪れた。ところが墓は空っぽになっていた。
その代わり墓の中には白い衣を着た若者(天使か?)がおり、彼女らに「イエス様は復活なさった。弟子たちとペトロにも教えてあげなさい。ガリラヤであの方に会うことができるでしょう」と言った。しかし彼女らは信じられない思いでその場を逃げ出した。

マグダラのマリアの許に現れる

エスの姿を最初に見たのはその中の三人の中の一人マグダラのマリアであった。
驚き感激したマリアは人々にそのことを告げるが誰も信じてくれなかった。なお、マグダラのマリアは後に兄や姉とともにフランスに渡り、マルセイユで精力的な布教活動をする。

■弟子たちの前に現れる

次にイエスはエマオに住むクレオパともう一人の弟子の前に現れる。二人がイエスに出会ったのは夕方だったので泊まっていくよう勧めるが、イエスは賛美の祈りを唱えてパンを渡し、去っていった。この二人も他の人々にそのことを告げるが、やはり信じてもらえなかった。

やがてイエスは他の数人の弟子たちの前に現れた。そして「全世界に行きなさい。全ての創造された者たちに福音を述べなさい。洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける」と言った。

■ペトロの前に現れる

エスはまた、イエスを3度知らないと言ったペトロの前にも姿を現し、一緒に朝の食事をした。イエスは自分の考え方をペトロにしっかりと伝え、結局彼がイエスなき後の教団のリーダーになり、後にローマに教会を設立して最初の司祭となる。その後「ペトロの座」という言葉はローマ教皇を意味するようになった。(*1)

■昇天する

多くの人たちの前に姿を現したイエスはやがて天に昇っていった。そして神の右側に座り以後は天から人々を見守るようになる。やがてイエスの母のマリアも同じように天に昇っていった。

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自宅に、「復元 単立イエス・キリストの教会」会長からいただいた「イースター・エッグ」が幾つかある。
郊外の病院併設の養護老人ホーム、何度か訪ねて、牧師を務めた夫人共々、そこを終の住居とされた。ある時は、ひとりホームのユニホームをまとった彼女を。その後ある時は廊下の長椅子にお二人と並んで座り、看護師とおぼしきが弾くピアノの音に。そしてその後は介護棟にベッドに寝る元会長から、ある言葉を。それでも、勤務先が変わってホームと同地域になって、それを偶然と解釈せず告げず、近くの行き付けの花屋も馴染みになった。その間、受付から介護棟の病室まで、外履き可になった。季節は過ぎる。
老いは、誰にでも訪れる。誰がために看取るや。日々の祈りを証しするためにも、そこを訪ねることを許されている者のひとり、そう信じただけだ。
ある時、同じ病室のベッドのひとつに、意識混濁の彼に『お父さん』と呼びかける妻とおぼしき女の人を見た。その名札に眼をやると、以前知りえたある若者の名字と同じ。まさか、とおもい、そんな現場の彼女に、もしやあなたの次男さんはオートバイ事故で20半ばで亡くなって、などと聞けないではないか。
12人の弟子を集められた方なら、カインとアベルから、兄弟たちがそれぞれ如何様な性格を備えているか、喝破していたであろう。
自分の知るその若者は、車椅子を押す、見目麗しい青年だった。10年の差があった。弟のようにおもった。『10年あれば何でも出来る』と彼に云ったこともあった。そして、彼を失った。脱力した。
ジョソウをしてもケショウをしても、脱力から脱け出すためには、ロックしかない、とおもったりもした。それらしき詞も曲もできた。しかしもはや、その真似をするほど若くはない。それをして醜態晒すクリスチャンがどこにいる。まだ無神論の女流作家の「老い」を読む方が、ましだ。
しかし、ヤンキーぶってる実はまともな若い女なら、車椅子押す若い男を見つけるために、それを夕日を浴びてロックするかも知れない。10年違いの親子は普通はいない。彼は歳取らぬが、何時の間にか、自分は彼を息子とおもうように年を取った。改題してもいい「クレオパの娘」に。
主は、それも許してくださるだろう。アーメン

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Lumiさん引用はカトリック系のようだが、共同訳も出ていることだし、使用させていただいた。マグダラのマリアがフランスで布教活動した、と初めて知った。フランス国歌は「ラ・マルセイエーズ」でしょ。こちらは、フランス革命の時そこから行進したからとか聞いてますが。
自称カトリックプロテスタントですから。どこら辺の座標軸に居るかは自覚しておかないと。