かいふう

近未来への展望や、如何に。

横田夫妻、全国行脚遂げる。

kaihuuinternet2006-08-12

北朝鮮に拉致された日本人を救うための青森県民集
日 時 平成18年8月12日(土)午後1時〜3時 開場零時半
会 場 ばるるプラザ(1000名収容)
登壇予定者 横田滋さん早紀江さん(家族会代表夫妻 横田めぐみさんの両親)
会場案内 JR青森駅正面口・駅ビル南隣
参加費 500円
主 催 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための青森の会
連絡先017−722−7514 FAX017−722−758

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拉致被害者横田めぐみさんの父親の滋さん(73)と母親の早紀江さん(70)は今夏も、めぐみさんの救出を訴えて全国を飛び回っている。

12日には、青森市で講演会を予定。これにより、47すべての都道府県での活動を行うことになる。2人のもとには、毎日、激励の手紙や贈り物が届き、「めぐみが帰ってきたら、全部見せてあげたい」と夫妻は話す。全国の支援者らとの交流は、2人の心の支えでもある。

川崎市の自宅マンションの一室。5畳ほどの部屋には、たくさんの千羽鶴とともに、うずたかく箱が積まれている。箱の中身は、講演を聞いたりした人からの贈り物だ。支援者らからの励ましの手紙のほか、夫妻を励ます歌を収録したCD、早紀江さんやめぐみさん、孫のキム・ヘギョン(ウンギョン)さん(18)へのアクセサリーなどがある。

「めぐみのためにとってあります。帰ってきたら、これだけの人たちが応援してくれたと見せてあげたいから」。夫妻は声をそろえて思いを述べた。

手紙と共に、夫妻は活動を詳細に記録したメモを残してきた。きちょうめんな性格をうかがわせる滋さんの細かい字で、署名活動や講演会、取材依頼などがびっしりと書き込まれている。ファイルに束ねられたA4サイズのメモ書きは、厚さ3センチほどに及ぶ。

「でも、これだけやっているのに、なぜ解決しないのか」。メモに目を落としていた早紀江さんの顔が悔しさでゆがんだ。

1997年3月の家族会結成以来の講演回数は約1000回。1か月に12回の講演や、1日に2か所の会場をはしごしたこともある。だが、そうした過密日程が高齢の2人に重くのしかかっている。滋さんは昨年12月に血液の病気となり、今も投薬治療を受ける。早紀江さんも右腕のしびれに悩まされている。

それでも、連日、最低でも10通の手紙や贈り物が夫妻の自宅には届いている。2人は一つひとつに礼状を書き、日付をまたいでしまうこともしばしば。「ただ、めぐみを返してほしい一心です」と早紀江さん。夫妻には今年も夏休みはない。(2006年8月10日読売新聞)
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この国の1都1道2府43県、全部訪ねるのが、目的ではない。
愛しい我が子をこの国に取り戻す、同様の不幸に陥っている家族をやはり取り戻すのが、その目的である。
極端を言わせてもらうなら、無報酬無給のボランティアの方々、それと同様の参加者、{国難}と想わなければ、ここまで長期間続けてこれまい、とおもうのである。
結果、数多く国民大集会に場数を踏み、国会議事堂周辺を横断幕を抱えてデモしたのも、署名陳情したのも、事実拉致された家族の方々は、すでに{国難}と想い感じていたからではないのか。
自分も、そう。
実際、我が身に我が子を、兄弟姉妹を、父母を、この国の大地で抱き合うことなしには、安心も安眠も得られない。だからこその叫びであり、訴えであった。
あとは、この国民が如何ほど聞く耳を持つか。聴いてくれるか。
救う会もその間増えた。支援議員の方々も多くなった。海外拉致被害者家族会とも連携を加えた。強力な国の権力者とも会見した。そして若い賛同者も周辺を囲むようになった。
基盤は固まった。
携帯電話も有効活用してもらいたい。