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靖国合祀、と旧厚生省、国会図書館が資料公表。

靖国神社への戦没者合祀(ごうし)を巡り、当時の厚生省が合祀対象者の決定に、積極的に関与していたことが、28日、国立国会図書館が公表した「新編 靖国神社問題資料集」で明らかになった。

同省は戦犯などの合祀について、神社側と頻繁に協議を重ね、見解を述べていた。同省が合祀対象者の決定に果たした役割がわかる資料は初めて。

A級戦犯が合祀された9年前の1969年に、同省が神社側の合祀の意向を把握していたことを示す資料もあった。研究者は「国と神社側が協力しながら合祀者を決めたことが分かる貴重な資料」と話している。

同図書館では、靖国神社参拝問題に関連し、調査や資料提供の依頼が増えたため、昨年から関連資料の収集を行っていた。資料集には、靖国神社が所蔵する非公開資料や、厚生省と神社側との協議内容など、計808資料、約1200ページにわたり収録されている。

資料によると、1956年、当時の厚生省が、戦没者靖国神社合祀について、「3年間で完了するよう協力する」という要綱案を作成。同年以降、同省と神社の協議が断続的に開かれ、合祀基準を詳しく決めていった。協議は神社の社務所に、厚生省側が出向いて行われた。

58年4月の第4回会合では、同省側が「戦犯者はB級以下で個別審議して、差し支えない程度で、しかも目立たないように入れてはいかが」と提案。同年9月の第7回会合でも同省側が、戦犯について「要するに職務上犠牲になった者あるいは事実に反した訴因によるもの」とし、「(だれが合祀に)不適格という事は出来ない」と合祀に積極的な姿勢を見せ、「まず外地刑死者(BC級戦犯)を目立たない範囲で(合祀することで)了承して欲しい」と、具体的に提案していた。

また、A級戦犯の合祀を巡り、靖国神社が69年1月、同省と会合した内容の資料があることが分かった。神社側が作成した資料には「A級(12名)」が「合祀可」と記載され、「総代会の意向もあるので合祀決定とするが外部発表は避ける」と別記がある。実際に合祀されたのは78年10月で、同省がその9年前に、神社側の合祀の意向を把握していたことが明らかになった。

旧厚生省が66年2月、靖国神社に対し「合祀を保留されていた戦犯関係死没者」として、A級戦犯を含む名票を靖国神社に送ったことはこれまで判明していたが、その後実際にA級戦犯が合祀されるまでの間、どのような経緯があったかは分かっていなかった。

厚生労働省社会・援護局では「66年に名票を出した後に、事務処理のための打ち合わせがあったのかもしれないが、旧厚生省の記録は残っておらず、確認できない」としている。(読売)