かいふう

近未来への展望や、如何に。

あるジャーナリストの死。

kaihuuinternet2007-09-27

ミャンマー日本大使館には、日本時間の27日午後7時15分、「ヤンゴンで流れ弾にあたって死亡した人の中に、日本人男性がいる」との連絡がミャンマー外務省から入った。

現地の日本大使館員が、遺体が安置された病院に出向いたところ、男性は日本のパスポート(旅券)を所持していた。画像や映像を日本の家族らに送って確認してもらい、長井健司さん(50)であることを確認した。銃弾が心臓を貫通しており、ほぼ即死状態だったとみられる。

長井さんは、国内外の報道番組を製作しているニュースプロダクション「APF通信社」(東京都港区)の契約記者で、この日は、ビデオカメラで反政府デモを取材していた。同社の山路徹社長(46)によると、長井さんはタイ・バンコクで取材中、ミャンマーのデモを取材したいと自ら申し出て、25日に現地入りした。

27日昼ごろ、ヤンゴンから「今は比較的静かだが、今後どうなるかわからない。街の様子を確認しながら取材を続ける」と連絡してきたのが最後だった。長井さんは愛媛県出身。山路社長は「パレスチナアフガニスタンなど危険な場所にも果敢に飛び込む記者で、『誰かが情報を日本人に伝えないといけない』と言っていた」と話した。(読売)
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某紙面にも過去の例で載っていたが、1988年アフガニスタンでの取材中のカメラマン南條直子さんの死もあった。
今回長井健司さんの死は、医師の検視の結果、至近距離からの被弾貫通の即死で、対応が問われる。
ビルマという名のほうが、映画「ビルマの竪琴」やその原作で親しみがあったのだが、軍のクーデターで軍政に移行、長期間に及ぶアウン・サン・スー・チー女史の軟禁もあって、なにやら薄暗い雰囲気の国ではあった。
それがここに来て、僧侶たちの多数逮捕、そして市民への銃撃、在日の方々のデモと慌しく動いた。
現地取材するジャーナリスト、そのひとり長井さんの死は、日本とミャンマー両国の外交関係に影を落とすだけで、果たして終わるだろうか。