彼が客死してから、一周忌。が三日前。
アフガニスタンで長年、人道支援に取り組んできた医師の中村哲さんが殺害された事件から1年の4日、ガニ大統領がビデオ演説し功績をたたえました。
ガニ大統領「テロリストは私たちから美しい魂を奪ったが、彼の輝かしい遺産と仕事の精神はアフガニスタンの人々と次の世代の心に刻まれている」
医師の中村哲さんは、アフガンでおよそ30年にわたり医療や農業の分野で現地の支援に取り組んできましたが、去年12月4日、武装集団に銃撃され死亡しました。
捜査当局は中村さんを狙った計画的な犯行とみて、これまでに複数の男から事情を聞きましたが、依然として実行犯の拘束には至っていません。
事件から1年となった4日は、SNSなどでも追悼のコメントが相次ぎました。ガニ大統領は、中村さんの夢を実現させるためにも政府として事業を継続すると強調しています。(NNN)
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中村哲を継ぐ 銃撃事件1年(取材ノート)
素っ気ない言葉を今も忘れない。「勉強してこなかったんですか」。6年前、用水路を掘る故中村哲医師を訪ねたアフガニスタン。取材初日、取水設備について簡単な質問をすると、中村さんはそう答えた。国内で見せる優しげな表情との違いに戸惑った。
目の前には大河クナール川が悠々と流れていた。ここまで来ているのに、そんなわけがない。失礼にも、うかつな質問と浅学の身を棚に上げてそう思った。付け焼き刃であっても1カ月は準備に専念し、著書や報告書、関連書籍も読み込んだつもりだった。その夜に宿舎で自分なりに描いた現場周辺の見取り図らしきものを見せながら、翌朝、同じ質問をした。「新聞記者らしくなってきましたね」と、中村さんはうなずいた。
その後、現地で密着した2週間、幾晩も時間をとってどんな質問にも答えてくれた。事業を伝えていくために「現場の証人、目撃者をつくっておきたいんです」。帰国後も亡くなる約10日前まで、何度取材に応じてもらったか分からない。
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「先生、おはようございます」。1日、福岡市のマンションの一室にある「ペシャワール会」の事務局。ボランティアの女性が中村さんの遺影に一礼して作業を始めた。中村さんと共に活動してきた会では以前と変わらず、会報の発送や関連イベントの手伝いなど地道な仕事が続いている。
支援の輪は広がる。福岡県飯塚市の会社役員の女性(51)は2月から、ボランティアとして会を手伝うようになった。訃報直後、中村さんへの敬意を語る友人もいた。「普段は話題に上らなくても、実は大勢に共感が広がっていると思った」と言う。
昨年度に全国から集まった浄財の額は、米軍などによるアフガン空爆で現地が注目された2001年度に次いで過去2番目に多かった。学校や図書館などさまざまな場所で功績を伝える試みも相次ぐ。生前に面識があろうと、なかろうと、事業を支持する多くの人たちが自分なりの役割を見つけ、行動を起こしている。
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中村さんが残したのは、戦乱の地に築いた用水路や診療所だけではない。連載で取り上げた会のスタッフや元ワーカーの話には、共通点があった。「どうせ、せないかんことは決まっとる」「目の前のことをただやりなさい」「一隅を照らす」。彼らが今も心の支えとする中村さんの言葉は言い回しが違うだけで、趣旨は同じだ。
03年に造り始めた用水路の終点となったガンベリ砂漠では、気温50度の熱暑の中で植樹が続けられた。中村さんが詠んだ詩にはこうある。「何があってもただ水やり」。褒められてもくさされても、誰が去っても倒れても、邪魔されても協力されても。誰が何と言おうと「ただ水やり」。
アフガン大統領が「最も勇敢な男」とたたえ、亡き後も人々を勇気づける中村さん。座右の書とした「後世への最大遺物」で内村鑑三は、後に続く人たちのために残すべき最も大きな遺産を「勇ましい生涯」と述べた。まさにその通りの生き方だったことを、信念を継ごうとする人たちの姿が証明している。(中原興平)(西日本)
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アフガニスタンなどで人道・復興支援を進め、凶弾に倒れた医師中村哲さんの告別式が11日、福岡市で営まれた。式では、バシール・モハバット駐日アフガン大使が日本語で弔辞を読み、時折嗚咽をもらしながら「日本人であり、アフガン人でもあるカカムラッドは私たちのヒーローです。中村先生を救えなかったことを本当に申し訳なく思い、悔しさと悲しみで胸がいっぱいです」と白菊に囲まれた中村さんの遺影に頭を下げた。
参列者によると、モハバット大使は、中村さんが現地で「ナカムラ」ではなく「カカムラッド」さんと呼ばれていることを紹介。「子どもから大人まで多くの人々に慕われていました。日本人であり、アフガン人でもあるカカムラッドは私たちのヒーローです。中村先生を救えなかったことを本当に申し訳なく思い、悔しさと悲しみで胸がいっぱいです。アフガニスタンの人々のために全力を尽くしてくださった先生の復興支援への献身と努力は言葉で言い尽くすことはできません。中村先生の名は英雄としてアフガニスタンの地に永遠に刻まれ、そして人々の心にいつまでも残ります」と述べた。
中村さんと個人的な交流も深かったというモハバット大使は言葉を詰まらせながら「私のヒーローであり、エンジェルであります。私の心から中村先生が消えることはありません。とても尊敬しています。素晴らしい方として愛していました」と語った。
さらに「理由を問わずテロ行為は許されません」と述べ、銃撃事件の容疑者として数人の男を逮捕していること、首都カブールからも犯罪対策の専門チームが派遣され、犯人逮捕の準備を進めていることを報告した。
モハバット大使は「アフガン人みんな、全員、今泣いています。全員悲しんでいます。先生は永遠にアフガニスタンの偉大な友人です。英雄です。中村先生のご功績をしのんで心からご冥福をお祈りいたします」と弔辞を結んだ。
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このような表題、でなければ。一瞥で、ピント合わせてくれない。
私個人は、イスラム教に疎い。イスラム圏に参加した方々には、どうしても距離感は否めない。ご容赦。
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NGO法人「ペシャワール会」の活動では。名称からして。どのような地域でどのような貢献を為されているか。
NPOとも、違う訳です。
その組織団体の意向、方針は様々ですし。それに係わる有志の会員のそれも、また各自の自由意思です。
伊藤和也殺害事件もありました。それ以降、中村哲代表を残して、他職員が帰国の、判断をされた訳ですから。
警護で同行されたアフガニスタン人も、5名亡くなっている。
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日本から、パキスタンからアフガニスタンに入国された2名の教師が殺害事件もあった。
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【クーバーペディ(オーストラリア南部)時事】オーストラリアの砂漠地帯では6日未明、オレンジ色に光る小さな塊が、尾を引きながら夜空を通り過ぎる様子が見られた。探査機「はやぶさ2」から切り離されたカプセルの試料から「宇宙の神秘」を解き明かす糸口が見つかるのか。カプセルの帰還を見守る人々から期待する声が上がった。
カプセルの回収拠点となっているウーメラの村から北西に300キロ以上離れたクーバーペディ。南十字星などが輝く中、午前4時(日本時間午前2時半)ごろ、北西の空に突然、明るい光の粒が現れた。
光の粒は次第に大きくなり、ほぼ頭上を通過した。カプセルが光った姿を見せたのは30秒程度で、あっという間に暗闇の中へ消えていった。
現場にはカプセルの帰還を一目見ようと、地元の人々の姿があった。南のポートオーガスタから車で約5時間かけて駆け付けたルカ・ブラウンさん(23)は仲間と5人で一緒に楽しんだ。「流れ星(のよう)だ。大きかった」と興奮気味に話し、「(カプセルが)地球の起源を教えてくれるだろう」と語った。
はやぶさ2は地元メディアにも取り上げられた。在豪州日本大使館の大村周太郎次席公使は「豪州国民にも関心が高まった。これをきっかけに日本と豪州の宇宙協力につながればいい」と話した。(時事)
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国宝「鳥獣戯画」誕生秘話。極私的見解。
「卯月物語」前編
『今は昔々。今川焼は太鼓焼き。ある処に、お婆さんと、その息子が住んでいたそうな。草刈り十字軍に馳せ参じたかったが。旅費が工面つかなく。それより、母屋の前庭に広がる、ぼうぼうの雑草でも刈れや。
そう云われて。その息子、与作。もとへ、イサクは、その広いのっぱらいっぱい咲く草(^^♪を。婆さんが煮だした関西風薄味醤油の流れてくる臭いを、耳鼻咽喉科に受けて。
せっせと、草々を刈ったんだと。
やがて、山の手。山手線は通らない。環状線は、不通。ジッと手を見て。感情線、高まったそうな。石川啄木は呼んでなかった。
日は暮れた。自宅周りを清掃しても。誰も金はくれない。ボランティアでもない。自宅だからだろう。イサクは、オタクだったのだろうか。
いや、すまん。脱線してしもうた。ここで、先の山手線。伏線だったと。
婆ちゃんが、雑煮を作ってくれた。古古米のうるち、蔵に残したんだと。
イサクは、美味しそうに食べた。まずそうにできない。だって、雑煮だっぺ。
彼は、庇の下、縁側で。膨らんだ腹をさすりながら。眼前に開けた田畑を見て。
よう刈った、よかった。
どこまで刈ったか。頭を左右に振ると。隅に、ひかるもの。凝視すると、ウサギ。
動かない。草履で近ずくと。足のつま先を、鎌で切られたらしい。
イサクは、大変な事に気が付いた。子ウサギに怪我を与えた。与作じゃない、イサクだ。雑煮の匂いも、不動の意味付けになる。
鼻をぴくぴくさせながら。イサクは、身体傷害ウサギを懐に抱えて。
ジッと、婆ちゃんを見た。家政婦じゃない。千葉の市原には行ってない。「家政婦は見た」という番組を見たのだ。
婆ちゃんは、黙ってうなずいてくれた。日も暮れた。小暮さん、どこへ行ったんだろう。
それから。「蛍の光」を何度歌ったことか。
子ウサギも、大きくなった。
そして、飢饉が来た。古古米も無い。干し餅もない。
そんなある日。婆ちゃんが煮だした。関西風薄味醤油の流れてくる臭い。
しかし、その時は。婆ちゃんは、居なかった。去って行ってしまった。
これは、必要な境界線だ。あの世と、この世との。
あの時を、想い出した。干し藁を、編んで草履を作ったんだっけ。
長かったな。あの日と同じ様に。腹いっぱい食べた。しかし、普段見慣れない具、あれは何の肉だったんだろう。いつも抱いてたウサギの匂いが、しないでもなかった。
大人になったウサギも。鼻をぴくぴくさせながら、囲炉裏端に来るだろう。
しかし、何刻過ぎても、出て来ん。
婆ちゃん、風呂でも沸かしに行ったかいな。
あの日以来。ウサギを見なくなった。
後日イサクは、婆ちゃんに訊ねた。
お婆さんは応えて、言った。「年頃じゃけん、探しに往きよったんだろう。」
その年の中秋は、名月やった。そうだ。確かに、ウサギさん、餅を突いてる。』
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「卯月物語」後編
『昔々は、今。私は、謙作といいます。東日本大震災以降、訳あって、家系を調べる事にしました。辿っていくと。遠い遠戚に。イサクというお爺さんがいて。飢饉を、どうにか、潜り抜けて。生き延びたらしいのです。そのお爺さんが、末期の水。遺稿に、サクの名の付いた男の子が生まれたなら。是非、「鳥獣戯画」を見て下され。何故、国宝なのか。考えて下され。
そう申しまして。
韻は踏んでも。虎の尾を踏んではならぬ。「言霊」は追っかけても、それを発した人を追っかけてはならぬ。奈良漬は食べて当たり前、お茶漬けさらさらで往け。
無知は、30年駆けても、克服せよ。キムチは無理してまで食うな。
以降と、遺稿が。韻を踏んでるを発見。これは、いよいよ。我に臨んだ節目。
三番、サード、流し目。東京ドームは、TOBされるんと、ちゃうか。原辰徳は、腹立ったか。
読売は、読むから売れる。それは、需要と供給。かくも長き誤解で。この夏、やっと読解した訳です。
コロナ禍下。
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東京国立博物館、平成館にて。本年、開催予定であった。国宝「鳥獣戯画」全4巻展示。
例外でなく。延期になりました。
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従いまして。
年明けの、来年。この眼で、しっかと見て来ましょう。観ましょう。
何故、国宝になったかを。
ウサギが。野兎が、どうして人間のように。両足で立ち、采配を振るうが如き、在り方で、描かれているか。
擬人化。そうせざるを得なかった、その理由を。
猛獣ならば。狩猟で、命懸けでしょう。
しかし、ウサギは違う。従順で、大人しい。
【飢餓】に譬えられるが、ある『暴れ馬』であっても。
それから、我われを救う。別のある種動物が共存してくれている。
仏教域であろうと。「いただきます。」の本意。判ろうというものさ。
鳥羽僧正が、僧職で、優れた画才を兼備してた事。
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探査機「はやぶさ2」は、天の鳥のごとく働く。
「応答せよ。」
「任務完了。しかし我は、更に天空を翔ける。」
暗黒の宇宙を、歳月を費やして巡航し。やっと、「テラへ。」帰還を果たして。
なのに。成果を、限りなく接近しながら。カプセルを投下。
その大役を終えると。再び、あの無限の漆黒の中へと。無言で、次なる任務へと飛翔する。
擬人化。そう想わざるを得なかった。すでに十分な実績がある。
電子機器なんですね。ソーラーパネルが発明、それを両翼展開の勇姿。
古来、この国には。「船霊」という、言い伝えというか。ある訳でして。
宇宙船だって、ならば。有るでしょうに。
手造りの宇宙船をキャストにたとえて。
ならば、それは。JAXAの指令、運行した優秀なエンジニア集団のスタッフがいる。
その事の証明に他なりません。
コロナ禍下。
彼らもマスク顔で成功の歓喜を、伝えてくれました。