かいふう

近未来への展望や、如何に。

医療と、法曹を意識する。

TVバラエティー番組で、ナイチンゲールのことを取り上げていた。年取る毎に、彼女のいわゆる弟子たちに接する機会が増す。それで、ナイチンゲールの業績を略歴を知ろうと、視聴した。本当は、教員免許を持つ美女たち出演、の番組表からだけれど。
解答する中に、芸能界新人の若い美女たちがそれぞれの免許を、出題者が述べて、紹介する。中には、実際教壇から授業した方もいた。つまり、試験に合格してまでの勉強もされた、ということだ。
でもしか、の類ではない、ということになろう。ただ知識を蓄える趣味の域と、教育実践は、確かに異なる。
それがなぜ、芸能界という畑違いに、進路変更したのか、できたのか、視たのはその好奇心からである。
彼女たちには、デビューなのであろう。皆初々しく、華やかである。わかる、わかるとひとり爺が頷いて、彼女らの変身を、進路変更を祝福する、楽しみを享受する。
このぐらいの楽しみは、クリスチャンといえども、許容されるであろう。美女が、知的努力も怠らず、それをも得たのは、よいことだ。可愛い若い人を知るは、未来をも肯定できることではあろう。と、爺云う。
さて、本題。ナイチンゲールさんは、ナースコールの発案者にして、給湯給水設備の創案者、そして世界初の看護学校設立者だ、ということだ。知らなかった。

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そして自分は、我れに或る施しをされた方を、思い出した訳だった。
その彼女の言、それは既に承知していた喩えであったが、『袂を分かつ、無い袖は振れない』
私財を投じての、単立の教会の、牧師としての言である。
つまり、教会員がひとりひとり、主の祈りにあって導かれなくては、日々変わらなければ、単立といえども立ち行かず、経営はおぼつかない、という、媚と甘えを排除する、厳しさと倹約奨励、と受け取った。

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どちらに従事するにせよ、医療や弁護というは、そもそも、身体的にあるいは社会的に、何らかの支障や事件が発生により、賄う生計にして職業であるからと、健康であり訴訟が無ければ、日常市民は係わり無しで済むものである、と何かで承知した。
しかし、人は皆老いるし、時には病む。また、誰でも事故に遭う可能性は残存するし、事件に巻き込まれるそれもある。
たとえばマタイ伝の納税の義務は、ルカ伝の癒しで権利とか、はなはだ粗雑な解釈だが。
誰でも年取ると、同様の感慨を抱くのだろうか。
以前、ある出演者が放送で番組ホストに、他人の体験談を間接的に語る形式で、話をされた。その話と喩えは、これから山を登る者と、降りて来る者の、違いであったろう。
若者が、老人に、この山は魔の山か、何処が難所か尋ねても、答える義務は無い。なぜなら、その若者が、その山をゴミの山にするか、火口があるなら、そこを投身する場所にするか、老人には、若者の未来故、責任も、皆目判断も着かないからである。
だから、老いたクリスチャンが、海千山千の、今会ったばかりの若者に、答える義務は無い、は妥当だろう。
答えるなら、ならば、[聖書]を読んだらどうだ、ぐらいだ。

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もうひとつTVバラエティー番組を視聴した。こちらは、OBが特別ゲストで出演した。
彼は現在はこの国の、府知事ではある。誰もなり手がいない莫大な財政赤字を抱えた地方自治体の首長選に出馬、選挙民に選ばれた。多忙の中の出演も、TVという庶民の娯楽媒体の威力を承知してのことであろう。育ててくれた恩義もあろう。若い弁護士でもある。
司会者の話芸のタレントにもよるのだが、いつも後味がいいのは、出演者全員が和気藹々、丁々発止を楽しんでいるからだろう。それで、かつ法律の勉強にもなる。
法の秩序の堅苦しい事例を、娯楽で味付けして提供してくれる。
オークションは、著名人が描いた絵の収益金を元にして、カンボジアに学校を建てようという番組企画。オークションの模様は、5月11日と18日に日テレ系で放送。(読売)

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府知事になった若い弁護士が、格闘するであろう莫大な財政赤字を抱えた地方自治体で、どういう仕事をするか温かく見守りたいし、それでも選んだ選挙民に、地方税納付は付いて回るから。
それで、マタイ伝を読んだらどうだ。と、府民に言ってはない。国税もある。
クライムを、シンと混同する心算は無い。
納税は、毎度言うが、その国で納めたは積算なのだから、いい若い者が、老いた人を、からかうな、ということだ。からかうから、老いるのだ。
献金も、何度もは言わぬが、神の国で納めたは積算なのだから、いい若い者が媚と甘えで、老いたクリスチャンをからかうな、ということだ。からかうなら、チンピラ雑魚扱いされても、致し方なかろう。
そんな暇があるなら、マタイ伝を読んだらどうだ。     アーメン