かいふう

近未来への展望や、如何に。

老婆心は無用。対私的な「れくいえむ」

古賀 入場券



詞は、詩の独立性に準じるものだ。以前、詩なるものは、本とか冊子の印刷物。それを開いて。個人が、独り、愉しみ癒される。そのようなものと思っていた。
しかし、ある女優が白い服で、或る日に、ある都市で、多くの市民を集めて。この国の運命的歴史。その悲惨と壊滅を。朗読という形式で語る。それを、恒例とする行事。定着するに至って。公的性格を帯びたものは、世界史的な発信が要る故。そのように発表されるのだと。
それで、詞は。音符を伴って。はじめて本領を発揮する。詞のみ棒読みしても。伝わらない。よって、アカペラもよし。ハーモニカも、リコーダーも。メロディライン♪さえ的確なら。
ところが、老婆心は、そのメロディライン♪を未だ知らぬ故。それが為生じる。もっとも、すでに老婆なんだから。もう歌えない、その感覚からして。若者が、年寄りの真似して歌うは容易く。老婆はその声が出せん。「れくいえむ」なるものが、そもそも老婆向きでない事に由来する。
孫とか。子供とか。柔軟な発想できんよう、なったかいな。