かいふう

近未来への展望や、如何に。

内村鑑三記念館を訪ねたきっかけ、から。

kaihuuinternet2007-09-30

このブログも三年目の後半になり、そろそろ虫の音も聴ける季節を迎え、邂逅やら、証でもいいから、然るべき事は、留めておこう。
この日が誰の命日かは、意識している。彼はクリスチャンであった。
であった、とするは、自分の証に、彼が直接係わりは無いからである。
「オートバイ ララバイ」♪という詞を某誌に載せて、それから何年も経て、ある日の新聞記事に、少女が夏休みを利用してか、オートバイで八ヶ岳に行く途中、幹線道路で事故死した、のが載っていた。女子高校生が乗れるオートバイが如何ほどの排気量か知らぬが、その事故死の現場は知っていたし、幾度か通行したこともあったので、身近におもった。
内心、その少女は、「オートバイ ララバイ」♪をなにかで読んで、それもあって、その旅行を決行したんだ、というおもいを抱く自分を、気にし出した。
だとすれば、その事故死の要因のひとつは、自分にあると誇大妄想するようになった。
これは、「オートバイ ララバイ2」♪を用意せねばならない、と更にふくらませた。
彼女が到達を果たせなかった行き先が問題なのではない。彼女が行けなかった場所など、どうでもいい。「オートバイ ララバイ2」♪を残せるか否か、だ。
それで、クリスチャンの自分は、地図に載る内村鑑三記念館のある場所に行き先を決めた。はなはだ勝手な選択ではある。独り善がりは、かって彼女と同じ年代の時某親友から指摘された、自分の性格ではある。
そして、旅行当日、わざわざ、彼女が事故死したその現場から、出発を決めた。
中仙道の難所碓氷峠は、土砂降りの中登攀した。それも夜である。軽い車体は流れ落ちる雨水に、これが笛吹峠とも呼ばれる由縁とひとり法螺吹く。軽いのは乗る車体だけではない。いいではないか、「わたしのくびきは軽い」という。
上がり切ると、数メートル先も見えない霧が続く。対向車とぶつかる時間でもあるまい。高原だ。金持ちが別荘にある別世界だ。
その時購入した聖パウロ教会のメタルは、今でも小銭入れの中に入れ、持ち歩いている。勿論その教会にも寄った。あぁ、カトリックなんだな、とおもった。そして内村鑑三記念館にも当然寄った。若い人が礼服で数いたから、結婚式でもあるのだろう。斬新なデザインの建物ではある。
高原の国民宿舎で泊まり、帰り際、「アフリカの星座」♪のデモテープを置いてきた。ホールにグランドピアノを見たからである。
さて、帰途も自宅に近づくにつれザアザア降りで、つくづく雨男だとおもった。
人の死に便乗してのこじ付け旅行、神様の罰かも知れない。
詞は浮かんだが、冴えない。メロディも浮かんだが、これも同様。何時の間にやら、忘れた。忘れるようなものは、残らないものだ。
それで、「オートバイ ララバイ」♪を仕上げた暁には、この彼女にも捧げたい、とおもう。名まえは知らぬが。
「しかり、しかり」 アーメン

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2011、樺美智子さんの命日の日に、
内村鑑三氏の墓参を果たす。そして、新渡戸稲造氏も然り。
同じ墓苑に眠る。
きっかけは彼女だから、やはり、天使のような威光、と受け止める。
二十歳に、はたち、という別称があるように、
何れクリスチャンになったやも知れぬ彼女、ならば、白無垢の天使で、白・樺美智子。
オコられるかな。

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先日、「底辺の美学」の著者とすれ違う幸運を得た。おそらく本人だろう。感謝。