上で、笛吹峠がでてきたので、笛吹川も載せよう。この河川が甲府盆地の中央に流れる辺りに、全国有数の湯量を誇る石和温泉郷がある。川沿いに並ぶ温泉旅館は、その川の中州で恒例の行事を催す。それが、川中島合戦絵巻と銘打って、新聞に宣伝され、それに釣られて、旅行に出掛けた。塩山から降りてきたら、もう河川敷に見た幟旗の数々は、鎧兜に扮した若者たちも退場する板の橋を渡っている。ひとり落ちたのを観たけど、後の祭りで、写真を撮るのも気が引けた。夕方である。出場者も年ごと募集しているから、どこぞの会社員も社命で参加してる風もある。それでいいんだ、祭りだから。勿論、そこは笛吹川だから、史実の合戦場ではない。温泉郷の客寄せイベントなのである。それでも、その陣容というか、参加者の鎧装束と当時の武者名の幟の列に、感動したものだ。
それが、ついに、TVで座椅子にでも背もたれしながら、観劇できるのである。
演じる俳優さんも、一年の長丁場、なり切ってきてるから、クローズアップでも決めるなぁ。
武田晴信と諸角の対面シーンはよかった。父なき子が、子なき父を許す。両者の胸の内が、よく伝わった。晴信の弟が援軍で馳せ参じ、頑固に篭城を決め込んだ諸角と対面し、兄の下知に背きし老体を、殴るかな、とおもいしが、殴ったから、視聴する自分のイメージも、脚本家や演じる俳優さんに近いと、自己満足した。そこで殴る、というは脚本に書かれしか、殴った俳優さんの自主判断か、それとも監督の指示か。このへんの微妙を探ると、もはや通と呼称されるのだろうか。老家臣が若い息子二人を先に亡くし、最後の奉公とて手柄を御屋形様にと頑迷に、それを人質に父を送り亡くした若き晴信が、その非を許す。
互いの苦衷を察する、老若合い見える名場面である。
史実はともかく、これに勘助の機略がからんで、組織とは、老と壮と若者でなる、というイメージがふくらんで、現代に通ずるものを観せられた感がした。
さて、番組のクライマックスというは、龍虎対決すなわち越後と甲斐であるから、今回は初の出会い、顔見せであって、次回へと観客を引っ張る。
それにしても、長尾姓が何故後日、上杉を名のるか知らなかったが、ここ数回連続して視聴しておれば、それも解けようというもの。関東管領だものね。
長野善光寺は、宗派を問わない寺社が連なるという。そこの御本尊争奪合戦というは、どこまで建前か。やはり、農地を進軍して蹴散らし、民を苦しめるのだから、そういう大義名分も必要だったのだろう。
神仏のご加護、聖地奪還などは、西洋史の十字軍遠征など、洋の東西は問わない。敵対する者を倒すのは、血を流す事ゆえ、畏れもあろう、敗れし恐れもあろう。
自分も、意識して大河ドラマを観るのは、これが最後のような気がする。
そんな時代劇である。
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先日別のTV局で、徳川家康と武田信玄が親子説を取り上げていたが、自分はそれに反対である。その番組での説は、東照宮に見られる家紋が、武田家のものもある、ということだが、それは、かって上洛する信玄が途上、三方ヶ原にて戦を仕掛けしが惨敗を帰し篭城した家康、表門を開け放ち、最後の決戦を構えしが、信玄それを見逃し、家康最大のピンチを脱した。その由来ではないか。その時の失禁してまでの醜態を絵師に描かせ、掛け軸に残せしが不覚は、信玄だから、命長らえたのを忘れず、仏の加護より武田家に恩義の念を禁じ得なかったのではなかろうか。そして、だからこそ武田家滅亡後に家康が武田家家臣団を家来として召し抱えた事。残党として手を焼くより、取り込んでしまった方が、得策であろう事は、どの大名も考えたであろうし、家康はそれを実行した。
そして、その家臣団は実際その後の徳川家において実績を残し、それが東照宮の家紋にも残る形となった、とみるべきではないか。
恵林寺は素通りしたが、武田勝頼公終焉の地、天童山景徳院には墓参をした。
なにもそこに行ったからとて、ではないが、やはり信玄と家康が親子説には、不賛同。
欣求浄土を御旗にした家康は、勝頼公終焉の地に建立した寺院は、禅宗のそれであって、だからこそ気が休まるというものだ。しかし、そこの番犬が秋田犬とハスキー犬、には驚いたっけ。
家光の時の佐倉宗吾霊堂も真言宗、綱吉の時の赤穂義士が墓も禅宗である。
宗門不幸、という熟語が何時から使用されたか知らぬが、やはり眠るところ、他宗が引き受けるのだろう。
再掲する。 乾徳桃 露天童参 景徳濡
白ヘル雨 同色旗陣 ち代桜 豆人