かいふう

近未来への展望や、如何に。

あるある説得

さて。然らば、そのカトリックの司祭とおぼしき正装せる彼は、何故挨拶の一言で、立ち去ったのであろうか。「こんにちわ。」は、私が過年、東日本大震災後の被災地のひとつ。石巻市北部隣接、被災後新築の南三陸町総合体育館の中で、女子職員から挨拶の言葉と、同一のもの。我われも日常的に発するので、ほぼ、どういう事情の際か。理解してるはずだ。そう、よそ者に対する、それでしょう。

彼も、一目瞭然。長年のカトリック聖職者、そのキャリアと直観から。会話を交わしての、「さよなら。」ではなく。そう、判断したのだろう。

しかし私にしたところで。老体を晒した。適切な問答が不可だった。だから、説得に見合う若さも、カトリック的資質も見出せなかった。そんな処か。

いや、だからこそ。こちらからも。対カトリックのノン現役の説得もどきで、カウンターです。どうして、当方でなく、拘置所内独房かの、あの日仏両国共国策会社の車メーカーの元トップ。その拘置所正面扉に行って。看守に面会を求め。たとえ却下されても。なら、こういう者が来た旨伝えて。彼が、安らぎ癒しを得たであろう。そういう情況を示せなかったのか、と。

事件の経緯からするに。まあ、公私混同。税金逃れに、プロテスタント国らしいオランダに居住地をダブルさせての事。それに、中東がらみは、車メーカーだから。ガス欠じゃ、ただの置物だもんね。そこら辺にも金ばら撒くは、その業界故のボスの業、もとへ。ゴーンじゃねぇ。

故に、正装のカトリック聖職者、彼は。この事件の法的長期化。そのダメージがカトリックへのマイナスイメージを想うに。プロテスタントが数百年の、対カトリック常套句。「免罪符」が紙面やテレビのテロップで流れる。

それにつけても。毒吐く輩を、あわよくば改宗もあり。それで、来てくれただろうが。もはや改宗させても、爺で説得する気も失くした。そんな処かな。

まぁ、爺の愚痴です。そういう方が足運んでくれたのだから。