殉教者が出て、改宗者が現る。
甚だ、確率論的ですが。仮説ではないでしょう。いいえ。クリスチャンは、それにはしないでしょう。抗仮説。
先日の、中村哲医師の死。彼がクリスチャンだった、という遺族の告白から。ふと、
この事件で、ならば。彼の死が、年月を経て。口コミ等で、広まって。彼のライフワークの彼の地。それを含めた地方。云わば、イスラム圏で。クリスチャンに改宗する者が、現出するだろうか。
それを想うは、不遜。いけない事か。
いや、それよりも。彼の、結果果たせずに終わった事業。中途の開墾治水工事を、完成させるべく。若手が参集する。
それは何も。改宗等せぬとも。完成させればいいだけの話。両国友好と、実利が問われる。事業そのものは、タレントの問題。
例え、現れたとしても。マスコミに喧伝するような、材料でもあるまい。
希望的観測と断っても。プロジェクトの後継者、その輩出こそ、気懸かりな事。
香田証生、彼の死。若者のひとり旅。異教徒過激派に、残忍に殺害されたが故。
そう、呼称する。
彼と母国を同じくする。同年代が、改宗する。そのきっかけになったとしても、有り得ない話ではない。
このような事例。ひとりで十分なはずだが。
彼が死んで。殺されて。遺族の述懐で、初めて知ったのが、彼がクリスチャン、なのだから。
先日訪ねた、川崎市内登戸駅下車しての現地。その被害者二人の中間地点で祈ったが。
それでも、家族の居る彼の死。それより、家族を創れず亡くなった少女に、思い入れは許してもらう。
それで、この主日。暫し、断食して。そうしないと、その個と向き合えない。
集中すると。単に、軸足が違うだけ。往なして来た個人我に。
何か、迫って来るものがあった。
あの日から。1年半。
否、我はプロテスタント。既に、マリア様の御手に在るであろう少女。
その少女が、クラスメイト彼らの身代わりになって、死んだ。
よもや改宗者、そんな不思議な体験。わずかでもあったような。
為らぬ者は、擬似と呼ぶんでしょうな。
こだわりは、その年少にして。磔刑になった彼と同様刺されて死んだ。
召された事に、由来するが為です。
アーメン