先日、「何を隠そう。隠れポーリッシュでございます。」と公言してしまったので。
Wikipediaで検索すると。
彼の作品に、「地下水道」と、「灰とダイヤモンド」がある。それらを観た。
ポーランド人の98%はカトッリクである。と、つい最近知った。その数値が、果たして何時の代物か。地理的地政学的に、あとの2%は、ロシア正教会、ギリシャ正教、そしてプロテスタントだろうか。
「地下水道」は、先の大戦末期。ナチス・ドイツが首都ワルシャワを占拠。レジスタンスの ポーランド人市民が、地下の下水道に閉じこもってまでも、最期まで徹底抗戦する。鼻を突く異臭、酸欠の光の無い洞内。食物も尽き、疲労を重ね。地上へのマンホールを探して。その蓋さえ、敵軍の仕掛けた爆弾で閉ざされた。
やっと開けて。地上に出れば。鍵十字の兜の若い同じ年代敵兵が、武器を取り上げ、すぐそばの塀に、次々出てくる同志共々、後ろ向きに並ばせられて。そして連射の銃声。
何とも、あっけない。これが、次代の若者が生涯の最後。亡国のそれではないか。
滅亡の始まりではないか。この映画のラストシーンは、辛くも生き延びた若い男女二人が、市街の大きな河川の、その排水口にたどり着く。ゴミ止めの鉄格子にしがみついて。その時の対向の岸壁。
私は当初。あぁ、上も向こうもナチスか。しかし、後年。対岸は、旧ソ連軍だった。ワイダ監督は、そう描いた。そして、実際、それが事実だったろう。死に至る若者にすれば。侵略者の同類で、敵軍でしかない。
ナチスは滅んだ。
しかし、もうひとつの彼ら。奴らは、形を変え、国を代え。今も在るではないか。
そして、すでに、同じく。迫害、虐待等で、我われに。