或いは、「戒老録」.その1
「彼らが、美しく見るは、彼ら自身が未だ若くある故であって。老者よ、錯覚するでない。」
還暦過ぎると。「少子高齢化」の時代故。私の居場所が、何処に分類されるか。明白に紛れも無く。意識します。
何処を利用するか。してるか。日課は何か。
医療制度。法律改正。この両方。
「介護保険」の対象になるは。できるだけ、先延ばししたい。
そして今は。「明治」でもなければ。「昭和」にもあらず。
それを、歴史のサイクルに当てはめれば。「大正」、そして「平成」と。比較的平和だった枠。訳だから。
「令和」の昨今。何があるか。次世代にどうバトン渡すか。「考える人」する?
それで、ここ一週間。大変な体験をした。
様々な顔が去来した。
最近、『白衣の人びと』、に会う機会が増えた訳です。
延命を望む、こちら側からの、自然欲求ですけど。
それが、ありがたい事に。私に、日曜日の儀式を授けてくれた方。
彼女が、看護師OG故。つい、親しく接してしまう。
勿論。これは、プラス作用でしょう。左様ですよね。
加齢とは、白内障。誰も逃れられない訳でしょう。
先日、ある建物の部屋から。窓ガラス越しに外を見るに。同じ建物の逆L字形の違うエリアの外観。その最もの角部屋。斜めに見るに。その外ガラス面に、刃とぎます、とある。あぁ、私と違って。長期滞在者だな。しかし、なぜそんなPR、ガラス面に載せた。室内からは、逆向き文字で書かねばならぬ。しかも、病院側がよくも許可したものだ。
時間が経過。再度見るに。もう、PRガラス面は無い。向かいの外に植えた小さな木の緑の葉が映えている。ピントを仔細に見るに。
なんと、刃とぎます、は。室内にある点滴台の銀色の棒柱台だった。
私自身、先程前後使用した必要品である。
雲行き怪しい陽射し。光線の屈折がどうの。病身故入居の病院。投げかけた視線が捉えたは、規制された病身同僚。そこから生じた、病んだ視覚の誤視認。
昼間担当、当直同僚。若い看護師。勿論女子。
半日も世話になれば。点滴機器も、ケータイより必携必需品。台車は常識、独りワンマン。いや、実際終日お世話になりました。派生病で、ぶら下げる薬も多用です。
大病治癒、及び克服には、最新式医療設備は、安心を確保、提供せねばなりません。
高い部屋代は、現行医療従事者の多種多様な実体。内情視察で、元取ろうという魂胆です。
介護保険及び国保が年金からの天引き。支給年少兵は、そんなあっさり、クタバれませんな。
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「平成大合併」やら。【東日本大震災】など。移住や、転居。
クリスチャンの端くれ。として。
この国に、馬の名付く地方自治体。幾つあるが存ぜぬが。
少なくとも、そのひとつに居住し、「ヨハネの黙示録」を学んだ者からすれば。
新世紀を迎えて。かつ、「令和」時代を歩き始めて。
迫り来た【国難】と、世界中の【艱難】に対して。何の発言、意見のひとつも云えんようでは、情けない。
アーメン