北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさん(拉致当時13歳)は、5日が56歳の誕生日だ。父・滋さんが6月に亡くなってから、初めて一つ年を重ねる。この日を前に、母・早紀江さん(84)が、心境を明かした。 滋さんの死去から4か月。「寂りょう感っていうのか、さみしいですね」。1日に報道陣の取材に応じた早紀江さんは、そう打ち明けた。
めぐみさんの誕生日には毎年、滋さんと一緒に小さなケーキとコーヒーを用意してきた。めぐみさんと一緒に暮らしていた頃は、めぐみさんと2人の弟が好きな鶏肉料理を囲み、家族5人で祝った。今は、「影も形も見えないまま、北朝鮮のどこで、どんな誕生日を迎えているのか。この日が来ると、本当にかわいそうだなという思いでいっぱい」になる。
川崎市の自宅居間の棚には、滋さんの遺影を置いてある。寄り添うように、めぐみさんの写真を並べた。早紀江さんの体調も決して良くないが、今は先月発足した菅政権に望みをつなぐ。
「少し期待をして、ちょっと望みを持って、(誕生日を)迎えようと思う。(めぐみさんの写真に)『必ず助けてあげるからね』といつも言っているので」。早紀江さんは気丈に語った。(読売)
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前世紀末。その時から、追跡して来た者からすれば。
母早紀江さんが、滋さんの遺影の。その隣にめぐみさんの写真を並べる。こんな状況は、誰も想像だにしなかった。
偽遺骨の件以降。二代目の時代には、無理だろう。事態は進展せぬ。そう、予感しても。国民大集会等、参加して。会場の皆とシュプレヒコールを挙げれば。やがて。
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しかし、機運は衰えていない。劇団による、全国各地への巡回公演。その上演数といい。名優を迎えて、演劇の威力というか。舞台と親子連れの観客、生の時空間の共有は、情操記憶を保持したであろう。総括として、その映画化も果たし。今後に含みを持たせてある。
外食の帰途。路線バスの停留所そばの文具店。ガラス戸内側から貼ったポスターも。
1年間の陽射しで多少色が消えても、視界に入る。
だが。我われ支援者が皆望は。それらポスターが取り去られて。
横田めぐみさんたち、被害者全てが。生身の本人が、待ち受けた家族と。母国、故郷で抱擁する。その日だ。
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『ゴーン ウィズ ザ ゴーン 』、或いはアブラハムと、脂ハムとの違い。
すっかり、ドサクサ紛れ。に、なってしまいましたか。
米中対立と、コロナ禍下。二大難問に躍起にならざる得ない状況。に、直面して。
カトリック経由の、イスラム帰着。この意外な顛末に、皆。大騒動です。
今や、法廷闘争に持ち込まれ、どうなりますことやら。どこまで、追っかけますか。
日産に、金融機関から。救済の為の、融資枠が設定。既報です。国側の支援姿勢を示さないと。どうしろと、何しろ。グローバル企業ですから。
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『もしもし、三菱自動車です。えっ、ウチには来ないんですか。ビシビシ鍛えてやる。何云ってるんです。うちは、フタ菱ではないですよ。日産さんは、月産何台なんですか。企業ヒ、ミ、ツ!?我々は、スクラム組んだんでしょう。水臭いな。』
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二大難問に、手いっぱい。もとへ、目いっぱい。
視界外ですよ。
『ゴーン ウィズ ザ ゴーン 』とは。アブラハムの、脂ハム化。
そうとしか。他映らんのですよ。クリスチャンの端くれのひとり、からは。
彼にとって。駱駝と針の譬え。『砂漠と霧』の忘却の彼方へ。ってとこですか。
ああ、脂ハム色の駱駝の背に乗って。ターバンを巻いた、人を煙に巻いた、ゴーンが明後日、もとへ。去っていく。
誰も云わない。『ゴーン、ハムバック、もとへ。カムバック。』