例えば。その1
『仏の顔も三度まで』は、誰が初めて口外したか。
南無を唱える宗門は、三つある。私個人の、知った狭い範囲で。
先ず、京に佇立するは、五重塔で象徴的な、東寺。教王護国寺ともいうから。
それで。既に、関西圏内で、南無を唱える宗門三つ、は確認された。
鎌倉新仏教まで、跳ばずとも。
すると、道元禅師が、南無の山門を叩き、何処も、馴染めず。北陸は豪雪地帯に、離れて。自ら開祖となったのかも知れぬ。何も、消去法でもあるまいに。
『仏の顔も三度まで』か、と。彼がひとり呟いた、かどうか。
余りに世俗に知られた、大本山は永平寺の、雲水入門の話。三日二晩か。玄関で、待機させる、前修行は。どーてっ事無い。それさえ忍耐できぬ位なら。とても、入門後の厳寒修行等勤まろうはず無いわ。俗世との訣別の堅い表明。
それで。西洋は、サン・ピエトロ広場。そこの開場年月日も知らぬ者が。そこから、遠路はるばる、大陸はシルクロード。その辺の景教を介して、ああなって。
正倉院辺りの見聞外交情報大好き僧侶。彼から、ペテロの事跡を仕入れ。それを異教徒翻訳してからに。北陸は氷点下か。雲水入門の儀に持って往くは、かなり無理がある。
仏教は、寛容というからに。ご容赦ください。
平仮名が日本人の発明ならば。
やくざ三度笠も。時には、要件備えて。しかも、棄教せずば。
或る事があってもよいのでは。
例えば。その2
『イメージ通り』と、「明治通り」の違い。
これは、言霊は、外れてる。外来語は、その語源から。無理なんだい!もとへ。難題。
では、『ジョーク』と、「冗句」はどんなもんだい!もとへ、問題。
明治天皇は実在された。それ故、「天皇陛下万歳!!」は、言霊として表明されもし。その年号の時代は、そう国民にも合唱された。唱える、と言うは。何も、音楽だけの範疇ではあるまいに。国民としての、恒例。皇居一般参賀は、納税者個人の自由意思に基着くものであろう。国旗の小旗を振って、万歳三唱するは、独りでも。団体多数でもかまわない。二重橋渡るも、一回こっきりでも。幾度でもかまわない。
どうやら。設定が違っていたようだ。
『イメージ通り』と、「明治通り」の聞き間違い。だったようだ。
『イメージ通り』に事が運んだから、ご機嫌に「明治通り」を帰路にした。
唱和したら、無事に済んだから。往路を「昭和通り」に選んだ。
いやいや。時系列が王道だから。「明治通り」を往路に、帰路を「昭和通り」に訂正した。
「ザッツライト。その通りだ。」
右翼が舶来左ハンドル乗っても、左側通行だよな、この国は。
「新大統領誕生前日までに、彼トランプが、トライアンフでトランスファーしようが、USAだよな。彼の国は。」
「レバノンコネクションで、ミスターゴーンは、針の穴を通る駱駝に乗ってるのか。ガスコブ駱駝のほうが楽だろう。」
そうそう。夜間離着陸訓練の滑走路誘導は何で点滅。
「ザッツライト。あの通りだ。」
その基地まで。横田めぐみさんたちを迎えに行くは。
「ザッツライト、ツー。この通り。例は令和通りだ。」
最後の通りだけは。言霊デモ、であってほしい。