かいふう

近未来への展望や、如何に。

祝日

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日の丸

回想と、補完。

 

BRTに乗ったね。東日本大震災で、公人の視察やら、私人のボランティアやら。

それこそ。復旧から、復興へ歩み始めた。個人が、自費で行くのだから。

初めて訪れる土地、場所だから。しかし、現地の居住する彼ら。被災者の方々。

その間、何年間も。そこで、生活暮らして来られたのだから。

その中へ突然入って行って。まあ、旅行客だと。分かるんだけど。

特に。通学で、日常的に。生家と義務教育までの学校。制服で往復するだけの生徒たち。大画面の液晶やら、もしものケータイで視た。それまでの各地被災地の情報。脳裏に仕舞い込んでる訳。

旅の終わりに。ひと通り。初めてで最後の、帰途のローカル駅。みかん色の夕陽を浴びて。帰る方向の線路上を眺めるに。そこは、蚊と鳴く。もとへ、そこはかとなく。

金原亭馬生、もとへ。芭蕉でしょうに。億劫な細道。

古の風流趣きに重ねずば。侘しいだけのひとり足袋。じっと、隠れ水虫を見る。

 

被災厄難無くば。再編校区なかりせば。こんな遠距離通学の帰路、単線車内で、体力消耗、ぐったり無防備睡の女子高生。孫目線で見てました。長髪の伊達は政宗公の末裔がごとき少年から、パンして松島湾ですから。こんな形でしか来れなかった。いや、だからこそ来れた。

当地から、青雲の志の彼が団塊の世代の末娘。二十歳の折、目明きが盲に怪談ごっこ。ムジナ女かペテロが義父か。逡巡火付け症候群カトリック系か。BRTで会わず、リタイア。

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トルストイアンにはなれなかった。彼は軍人から、サンクトペテルブルクに出て、同人誌で、貴族のツルゲーネフに会う。やはり、ライバルはいい意味で要る。

それで、トルストイの壮大な叙事詩から、ツルゲーネフの家庭的な上品というか。彼の小説上の言葉。よく、抜粋引用で載せてる。そのひとつが記憶に残る。

それは、オルフェのイメージを誘う。「愛は死より強い。死の恐怖よりも強い。」

ジャン・コクトー「オルフェ」。映像で、フィルムで、残した。新しい表現形式が出ても。それを実現する新たなタレントが出現が、待たれる。

 本人が気付いて、意思を持たなければ。誰が、持たせる。

未来への不安に。大願を暁へと。忍びがたきを忍び、耐えがたきを耐え。どこかで聴いた記憶がある。それさえ、父と子。世代の隔て、は如何ともしがたい。

真実の愛を知らぬ。未熟者が、果たして死へと飛び込むであろうか。否、それへと挑む何かを持つだろうか。

対象が現れたが故。めぐり合ったが幸運。数ある要件が整わなければ。

虚実と自問を往復し。値するか。何度も言ったわ。当時の当事者しか、わからん事よ。

恋する者よ。思索する者よ。音楽する者よ。

彼らの天使たらんと欲する者よ。然らば、ヒントを与えんと師匠たらんと欲する者よ。

奏でた美しい音楽に耳を傾けんと欲する者よ。

 

その自由が欲しい。それを享受する平和が欲しい。

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自由ですね。平和も十分享受してますね。

よかったですね。

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ここから先は、それこそ自由ですよ。

知らん。私は 、知らん。

どうぞ、どうぞ。ご自由になさってください。

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