「イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。
2 弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。
3 イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。
4 わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼の間にしなければならない。夜が来る。すると、だれも働けなくなる。
5 わたしは、この世にいる間は、世の光である」。
6 イエスはそう言って、地につばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人の目に塗って言われた、
7 「シロアム(つかわされた者、の意)の池に行って洗いなさい」。そこで彼は行って洗った。そして見えるようになって、帰って行った。
8 近所の人々や、彼がもと、こじきであったのを見知っていた人々が言った、「この人は、すわってこじきをしていた者ではないか」。
9 ある人々は「その人だ」と言い、他の人々は「いや、ただあの人に似ているだけだ」と言った。しかし、本人は「わたしがそれだ」と言った。
10 そこで人々は彼に言った、「では、おまえの目はどうしてあいたのか」。
11 彼は答えた、「イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目に塗り、『シロアムに行って洗え』と言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました」。
12 人々は彼に言った、「その人はどこにいるのか」。彼は「知りません」と答えた。
13 人々は、もと盲人であったこの人を、パリサイ人たちのところにつれて行った。
14 イエスがどろをつくって彼の目をあけたのは、安息日であった。
15 パリサイ人たちもまた、「どうして見えるようになったのか」、と彼に尋ねた。彼は答えた、「あのかたがわたしの目にどろを塗り、わたしがそれを洗い、そして見えるようになりました」。
16 そこで、あるパリサイ人たちが言った、「その人は神からきた人ではない。安息日を守っていないのだから」。しかし、ほかの人々は言った、「罪のある人が、どうしてそのようなしるしを行うことができようか」。そして彼らの間に分争が生じた。
17 そこで彼らは、もう一度この盲人に聞いた、「おまえの目をあけてくれたその人を、どう思うか」。「預言者だと思います」と彼は言った。
18 ユダヤ人たちは、彼がもと盲人であったが見えるようになったことを、まだ信じなかった。ついに彼らは、目が見えるようになったこの人の両親を呼んで、
19 尋ねて言った、「これが、生れつき盲人であったと、おまえたちの言っているむすこか。それではどうして、いま目が見えるのか」。
20 両親は答えて言った、「これがわたしどものむすこであること、また生れつき盲人であったことは存じています。
21 しかし、どうしていま見えるようになったのか、それは知りません。また、だれがその目をあけて下さったのかも知りません。あれに聞いて下さい。あれはもうおとなですから、自分のことは自分で話せるでしょう」。
22 両親はユダヤ人たちを恐れていたので、こう答えたのである。それは、もしイエスをキリストと告白する者があれば、会堂から追い出すことに、ユダヤ人たちが既に決めていたからである。
23 彼の両親が「おとなですから、あれに聞いて下さい」と言ったのは、そのためであった。
24 そこで彼らは、盲人であった人をもう一度呼んで言った、「神に栄光を帰するがよい。あの人が罪人であることは、わたしたちにはわかっている」。
25 すると彼は言った、「あのかたが罪人であるかどうか、わたしは知りません。ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲人であったが、今は見えるということです」。
26 そこで彼らは言った、「その人はおまえに何をしたのか。どんなにしておまえの目をあけたのか」。
27 彼は答えた、「そのことはもう話してあげたのに、聞いてくれませんでした。なぜまた聞こうとするのですか。あなたがたも、あの人の弟子になりたいのですか」。
28 そこで彼らは彼をののしって言った、「おまえはあれの弟子だが、わたしたちはモーセの弟子だ。
29 モーセに神が語られたということは知っている。だが、あの人がどこからきた者か、わたしたちは知らぬ」。
30 そこで彼が答えて言った、「わたしの目をあけて下さったのに、そのかたがどこからきたか、ご存じないとは、不思議千万です。
31 わたしたちはこのことを知っています。神は罪人の言うことはお聞きいれになりませんが、神を敬い、そのみこころを行う人の言うことは、聞きいれて下さいます。
32 生れつき盲人であった者の目をあけた人があるということは、世界が始まって以来、聞いたことがありません。
33 もしあのかたが神からきた人でなかったら、何一つできなかったはずです」。
34 これを聞いて彼らは言った、「おまえは全く罪の中に生れていながら、わたしたちを教えようとするのか」。そして彼を外へ追い出した。
35 イエスは、その人が外へ追い出されたことを聞かれた。そして彼に会って言われた、「あなたは人の子を信じるか」。
36 彼は答えて言った、「主よ、それはどなたですか。そのかたを信じたいのですが」。
37 イエスは彼に言われた、「あなたは、もうその人に会っている。今あなたと話しているのが、その人である」。
38 すると彼は、「主よ、信じます」と言って、イエスを拝した。
39 そこでイエスは言われた、「わたしがこの世にきたのは、さばくためである。すなわち、見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになるためである」。
40 そこにイエスと一緒にいたあるパリサイ人たちが、それを聞いてイエスに言った、「それでは、わたしたちも盲人なのでしょうか」。
41 イエスは彼らに言われた、「もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。」
主日
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全文掲載する。やはり、流れをつかまないと。登場人物が、相関関係がはっきりしない。
しかし、この章のみでも。映画化、あるいは舞台化して上演したいものだ。
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読んでみて。あの日を、思い出した。
儀式を授ける者が、問う。問わねばならぬ。
問われた者は、返事せねばならぬ。己が口頭で、返す。
立ち合い者がいるであろうから。彼の目線、眼力もある。
証人である。
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その問われたことを、想い出した。
その要諦が、全文の中にあるからである。
簡潔、単項目であるが故に。すぐ、想い出した訳である。