こどもの日。
「シーソー」と、「シーソー」と。
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そこに、2台のシーソーがあります。
それは、幅は同じらしいです。
しかし、長さが違います。
1台のシーソー。そして、もう1台がそれ。
ひとつは、例えば。10メートルでしょうか。
両端に漕ぎ手が乗りますから。バッタン、ゴットン。音が違いは、国籍か。眼の色か、髪の色。
中心から、5メートル間隔ですね。
ならば、もう1台。こちらは、3倍、30メートル。かなりの長さ、というより距離です。
下肢で跳ね上げての、単純動作、運動ですから。相手との、呼吸が合えば。
さほど、苦にはなりません。
しかし、回数増やすには、お互いが承諾、約束なら、それを履行せねばなりません。
これは、信頼というか。友情、友好ですか。
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短い方は、「年代」号といいます。
長い方は、「世代」号といいます。
友だち同志なら、乗れます。どちらも、おそらく。
しかし、同じ年代、同じ世代なら、いいのですけれど。
違う世代。これは、考えてしまう。
つまり、疲れるんですよ。タイアド、リタイア、って言うじゃないですか。
若者と、老人は、同じシーソー漕ぐは。大変だろうと。
シー、ソーですよ。30年が間隔、感覚で。現在~過去を、互いに、繰り返し。
どうして、漕ぐのか。決まってるじゃないですか。シーは、海でもあるんです。
言霊とは言ってません。同音ですか。
親子であれば。公園で。10メートルは無くとも。座るにやさしい木製辺り。
親子であれば。自宅で。30メートルの時間。「世代」号の会話、平均でしょうか。
爺と孫さんが、公園で。「年代」号バッタン、ゴットン。あれは、老人が童心に帰った訳ですね。
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教会が庭に、シーソーは見掛けませんね。
あったとしても、1台でしょう。それも、「年代」号。
教会堂が中で。シーソーがありました。彼女が(私を)見た。意訳ですか。それとも、異訳でしょうか。私が(彼女を)見る時。まさに、「年代」号。
それから、暫く。ある道路で、「ヒア。(ここよ、聞いて)」、彼女らしい。
それから、約半世紀。先年。東京は、お台場。ビッグサイト。ある会場、スマホで撮影中。スマートな女性が、カメラのファインダー内、映ったんです。
シャッター押したか。それより、外れた後。クールな女の笑い声が、聞こえました。
クールが、救い。クレイジーと同じ、その国では、肯定的。プラス志向なんです。
まさに、その距離ですね。「世代」号も、共有した事になります。
その国が、太平洋岸。二つが大都市で、大地震がありました。
この列島、新潟中越・中越沖、東日本大震災。原発がらみ大震災、ありました。
それをもって。誰それは、故郷に受け入れられない。溜飲下げた、訳です。
オフコース、予言も廃れます。預言で、当たったとしてもです。
噂でしょうか。その後、その教会が女子信徒会員。役職が地位向上、改善があったそうです。働く強い女性がふえるは、国境ありませんから。
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最近。渋谷辺りの、CD店。レコードの針で聴く、レトロがブームらしい。
私所有が、なつかしいドーナッツ盤。戦後、アメリカンポップスの、もはや古典。
球界でいう、WBC。云わば、『WMC』。
どうしようかな。当時の会員が、日本人で、名前覚えてる。
どっちへ、寄贈するが。有効利用なるか。考えましたね。
十代、親の金で。キラ星が如く。倉庫にしまうは、もったいない。
誰かに、聴いてもらいたい。
聴く者に相応しいは、誰だろう。
[おもわずハミング♪]する、青春が名曲、数あるんですけど。
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ナウ。ウクライナ。
その国がキリストの教会。関東は、首都圏にもあるそうです。
欧州は、母国からの避難民。彼らも、何処かで、シーソーを見るでしょうか。
それとも。譬えのシーソーに、出会うでしょうか。
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私個人は、戦争当事国の被災民、避難民でもありません。
従いまして。彼らが、犠牲者ひとりでも、少ないことを願う者ですが。
同時に。おそらく、最後の、たった一度の、[黙示録]が見えたであろう。その者がひとりとして。エントリーしたと、自負するならば。
オリ・パラリンピックではないですが。それが、開ける未来になるよう、希望する者でありたい。
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少なくとも。ウクライナの現実をば。共有せねばならない。
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最低摂取の野菜の定食を食べに、外出した帰路。
路線バスが発着場で、車椅子の乗車口から、真正面の単独座席。発車までの時間、親子連れが、少女未満の子と父親で、乗って来た。すぐ、父親は運転席が後ろの前輪カバー上の高い座席に腰掛けた。先に入った子は、反対側がやはり先頭の前輪カバーが上に座った。未だ、バスは出ない。他の客を待ってる。
その間私は、車内左右両サイド、前面に座った彼ら親子を、見てる。
私が前列の高位置、前輪カバー上の父親。左の娘に、ジェスチャーしてる。
白いコロナ対策マスクが幼女が、父親へ顔向けて。両手を、結んで開いてしてる。
駅前の塾の帰りなのか。それとも、健康ジムの帰りなのか。
30代半ばが父ならば、小学入学前だろうか。幼女が横顔の白いマスクからのぞいた黒い瞳が睫毛が、いじらしい。訴えてる、完全無欠の父に向って。彼女が眼中には、それしか他ない。
自己が生命力のすべてを無限大に投げ出して、お父さんを見てる。
当たり前だな、生んでくれた父だものな。役得と思ってないな、彼は。
孫のように幼女を見てる、老人が私。わたしが役得なんだ。
われを忘れて、見てた。非日常。
見惚れた光景だ。
こういう日常があるんだ、彼らには。愛があるんだ。愛情なんだね。
偏屈頑固爺さんには、強烈爽やかなパンチでしたね。
参ったな。