15:1[編集]
わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
15:2[編集]
わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。
15:3[編集]
あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。
15:4[編集]
わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。
15:5[編集]
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
15:8[編集]
あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。
15:9[編集]
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。
15:10[編集]
もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。
15:11[編集]
わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。
さて。葡萄と、ワイン。その相違。
ウクライナはどうなるのだろう。
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昨日の、今日故。残像も残っていよう。
ならば。宗教界にも、在るだろうよ。部外者のマスコミでも。
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『虚構が宗教』は、果たして。普通の信者にとって。目の上がたん瘤、で済むのだろうか。
もはや、新世紀。
前世紀で、それに対しての呼称、『虚構の宗教』。
彼らも、名を変え、なおも営業してるのだから。こちらも、しぶとく抵抗せずば。
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『クサい芝居』に、リアクションで、思わず。鼻を抓むは、自然。
その片手があれば。
やれ、隣が盲人の手引きができる。
やれ、車椅子も押せる。
そして、やれ、手話はできずとも、ジェスチャー位できるだろう。
福祉の「黄門様21」。両側、助さん、格さん、雇うだけの資金無い。
それで、この「公共の福祉」なるパスポート、眼に入らぬか!!
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『キムチクサい芝居』で、われわれが地震からの復興を邪魔するでない!
『キムチクサい芝居』で、われわれが福祉に停滞を招くでない!
『キムチクサい芝居』で、われわれの介護を遮断するでない!
皆さん、くれぐれも。彼らが『クサい芝居』で、
『キムチヶ丘の白昼夢』に、そのバキュームに吸い込まれること、無きよう。
ゆめゆめ、甘えさせては、為りませぬ。
既に、地の塩舐めて来た者として。
これからも、そうするであろう者として。
『キムチワイン』など、誰も所望せぬ。
われわれに要るは、厳格と峻別です。
もはや、譲らなくてよいのです。
健闘を祈ります。
アーメン