かいふう

近未来への展望や、如何に。

ある日

 

 

 

首都圏 カトリック


「ノーモア ナガサキ!!」の日。

この国は、どうなるのだろう。

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3日、30日、3年。そして30年。それらの違い。

「マリアの首」を、知っていますか。

田中千禾夫の戯曲です。でも、戯れに書かれた。そうとは、とても思えません。

劇作と評したほうが、無難。というよりは、読者の目に止まるでしょう。

何だろう。と、調べて。

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長崎は、浦上天守堂を訪ねても。

教会内がガイドは、信者になることは、勧めても。

「マリアの首」を、知っていますか。それを、先ずは問わないでしょう。

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問われて。

一瞬。ここに、引っ越して来ない限り、無いだろう。

でも、案内が係。おそらく、信者がひとり。それも、当番制の、奉仕。

外に出て。教会堂を、その庭園広場を、歩いて一周すれば。

所縁が史跡。あの日の閃光と、崩壊瓦礫が惨状。

ミサさえ、無に帰してしまった。もう、かっての光景なるもの。

賛美歌の斉唱、共に歌った信徒たち。何処へ、入ったのかしら。

行ったのかしら。

あれが、夢であろうはずもない。

 

顔に黒いヤケドの傷痕を残したマリア。

首だけの聖母。

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3日、で復活された。という。信じがたい。

30日、でどうなるというのだ。何が、元どうりになるというのだ。

3年経っても。人は住めるのだろうか。信じられない。

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ならば、30年。

何処にも越せなくて。そこに、定住した者たち。

彼らはどうなったのだろうか。

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被爆を免れた、その幸運。恩恵に預かりし者。ならば、戯れに興じても。

書けるものかもしれない。

 

しかし、実際。それを作品として、覚悟を決めたからとて。

生易しく、書ける訳なかろう。

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「マリアの首」を、読んだり。あるいは、上演を見るは、少年に苦行である。

二重に、そうである。

その事自体に、理解に、苦しむ。

次に、そこから。どうやって、生きてゆくか。更に、苦しむだろう。

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それでも。少年がそれを、そうするは。

そうしても。多分、身体にケロイドは付かない。

死ぬまで消えないケロイドは着かない。

知ってる。知ってるからだ。

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われは、3年経っても。[新約]を読めるだろうか。

われわれは、30年。[旧約]を読んだだろうか。

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その途上で。

彼が、3日、で復活された。それを、果たして信じることが、できるだろうか。

勿論。その時点で、軸足を問われずしてだ。

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私は、軸足を考える。それができることを、ありがたい。

われわれは、ケロイドを持たず、生まれた。

われわれは、その傷痕を、烙印を押されずして。

 

つくづく、幸運だと、思う。

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「マリアの首」が、上演されるか。知らない。

しかし、その戯曲を読める。DVDも出てるだろうか。

幾多の名優が力演を、鑑賞するは、可能だ。

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その地。平和公園には、噴水がある。