かいふう

近未来への展望や、如何に。

ある戦争未亡人.その1

ここでのそれは、いわゆる「太平洋戦争」でのその方々。しかし、取り上げた理由は、違う。非常に、ぎりぎりの判断、対応を考えてしまった。たとえで話すしかないのだろうか。現在、彼女たち、ご健在の方々如何程か、知らない。いわゆる認知症なら、故意とか意識してとか、そんな感覚はすでにないだろう。
上記、眠れる獅子を起こしたのは、銃声であった。しかし、人の感情の変化、それを作用させるのは、無機質の機器の音声だけとは限らない。「モンタージュ」で解こう。試みてはいけない、ならともかく。
その日彼女は、戦争未亡人であった。翌日彼女は、いかがわしいまるで女郎屋の女将のような笑いをこれ聞こえよがしに発する戦争未亡人。そして、翌々日彼女は、ただの老婆になった。
その日までが何十年か、数えられない。翌日から翌々日まで何年か、数えてない。そして認知症になって終日床にあっても、もはや知らぬ。
ただ自分が意識は、翌日から翌々日の間これ聞こえよがしにされた自分の自意識過剰か他のも含めて、もはや負債は無いだろう、その事だ。
これはたとえ話だ。自分にとって主観であっても、自分以外には客観でしかないだろうから。
勿論、梅干食してもしなくても、{梅干爺}になります。