かいふう

近未来への展望や、如何に。

或る自伝。

NHK1チャンネル
「彼は生きた〜小頭症被爆者・47年の生涯〜 」 午後10・00〜10・45

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原爆に冒された体で生まれ、障害に苦しみながら47年の短い人生を生き抜いた一人の被爆者がいる。故・光石信幸さんは61年前、長崎に落とされた原爆を母の胎内で浴び、終戦の翌年に原爆小頭症を負って生まれた。知的障害と体の不自由。光石さんは自立を目指して中学卒業後に家を出る。しかし、体の不調で仕事を転々とした末に、13年前、肉親に付き添われることなく孤独な生涯を閉じた。「死んだ方がましだと思ったことがある」「誰がこんな体にした」──。生前に録音された光石さんの肉声は、その苦悩の歩みを物語る。同じ被爆者として、光石さんを20年にわたって支えた被爆者団体の相談員・横山照子さん(64)は、今、光石さんの人生史を書き進めている。きっかけは去年の春、被爆者の知人が語ったひと言だった。「原爆小頭症って何?」。光石さんのように人知れずひっそりと人生を終えた小頭症被爆者は少なくない。現在存命の小頭症被爆者は、全国に20人余りとなっている。横山さんは光石さんの人生を通して、社会の片隅に追いやられた小頭症被爆者の苦しみを伝えようとしている。
番組では横山さんの取り組みを追い、薄れ行く原爆の影を描く。(NHK)
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重い時間でした。学校の写真から被爆者団体でのそれ、当時勤務先を訪ねての知り合いの思い出話やら、そして本人の生前のインタビュー。編集、構成がわかりやすかったです。身近に感じました。
山口仙二さんと同じ写真に居ました。山口さんは、国連で訴えた方ですし、先年某TV局の取材で米国の核実験場まで行かれた際、突然車で現れた地元の中年女性が、彼の前の地面に木片で図を描いて、彼女の実兄が日本軍との戦闘で死んだのを激高して話していましたが。それを唯聞いているだけの彼に、なんでここまで被爆者が引き受けねば、と考えてしまいました。
別のTV局の番組に出られた百合子さんも、彼と同じ症状の被爆者です。