かいふう

近未来への展望や、如何に。

それでもエピ。55年番組を、午後に視た。

kaihuuinternet2008-03-18

少年時からの料理人が、珍しく、或る番組を視てからでいいよ、と言うので、その某局開局55年スペシャルドラマ「東京大空襲」なるを、視聴するに及んだ。
昨晩は第一夜。数時間に及ぶ大作だから、やはり前半は、登場人物の紹介やら、周辺事情の描写やらで、途切れそうなのを、病院内の患者たちを等身大の位置からのカメラワークで追って、画面も照度がソフトで、ノスタルジックな雰囲気が醸し出されていた。
そして、その時。いや、1チャンネルではなかった。
未明に飛来するB29の大編隊。このCG技術と、無数の落下する焼夷弾の雨が、見せ所のひとつ。逃げ惑う市民。襲い掛かる火炎が、火ダルマになって倒れる人びとを覆う。ただひたすら、あちらこちら、火の海なのである。
10万の市民が、一夜で亡くなるのだから、未だ火の海なのである。これでもか、とうんざりするほど、火の海が拡がる。火に囲まれ、プールに飛び込み、あとからの人に押されて溺死する人。
そして、言問橋へと、追い込まれていく。両岸火炎で、その橋上に殺到する人々の俯瞰CG。
先日の某紙、その言問橋の欄干、焼け焦げたシミがあるが、そこで亡くなった人々の脂肪だそうだ。もしや隅田川を渡る事ありし時は、言問橋にてしばし祈るよう。
もうすでに十分視て来たはずだが、火の怖さ、というより、戦禍の、火の海に追われ追いつかれ、呑み込まれるだけの市民。彼らの阿鼻叫喚は、如何に生への執着か。そんな最期は、選ばれたとはおもわない。
「歴史と教訓」などと、白々しい。だけれど、では、どう括ればいいのだ。
空襲の恐さを、より身近に感じましたよ。しかも大空襲。B29が、279機だと。数える気がしない。
掲載は、言問橋

                                                                                              • -

今晩は、第二夜。前編で登場した人物は、皆空襲で死んでいく。100人紹介しても、10万の市民の何分の一だろうか。はじめから、ノンフィクションドラマと謳っているのだから、その悲惨と慟哭は、それでも描写し切れないだろうから。
現に先年、同じ職場のある年配の方が、下町で住居を焼け出され、山の手に疎開した時、空襲がまたあって、敵国の搭乗員が捕縛されたのを目撃した、そんな話をされた。その地域には戦後ミッションスクールが設立され、その学園を卒業された若い牧師から説教を聞いたこともありました。また、同地域のある社の敷地内の空襲被災者の慰霊碑も訪ねたことがある。更に、自分の教会の数少ない会員のひとりも、そのミッションの出でありました。その学園内附属の教会堂での催しにも呼ばれたこともあった。
働き盛りが外出で共稼ぎでも、祖父母と孫たちは、家で仲いいなら、戦争体験は、語っているだろう。
でも60数年経て、それを聞いただろう彼らも、この二晩は、電灯の下、例えば、コーラとハンバーグ、それにフライドチキンをつまみながら、観たかも知れない。
自分の世代でさえ、中学校の義務教育で英語を習ったのだから。
この番組の挿入歌のひとつも、英語で歌われているではないか。癒しあるメロディだ。
そして昨今、髪を染める若者さえ居る。それも自由だ。
若い有望な俳優さんたちに、数々の悲恋ものとして演じさせて、それ自体が、彼らに身体で覚えてもらった、伝達であり、悲惨な歴史の継承なんでしょう。
「君の名は」、「怪談」の国際的な女優さんが出てくれたのも、説得力が増した。
主人公二人が橋の欄干に並んで川の流れと、左右の景観にしばし時間の悠久を思うのは、幾つも野外セットで渾身の演技を終えた後の、平和を噛み締めるひと時でもあったろう。それぐらいの順序の配慮、ロケスケジュールで組んだんでしょう。
大掛かりな屋外セットの数々。それらを全部焼いてぶっ壊しての迫力は、伝わりました。
心臓病を持つ、という設定も、自分は違和感を感じなかった。
少年時からの料理人が、そういう人を亡くしているのを、知っているから。