かいふう

近未来への展望や、如何に。

それ、デモエピ?ドクさん、ホーチミンで、8月、コンピューター修理販売会社を設立。

ベトナム戦争の米軍散布の枯れ葉剤の影響とみられる結合双生児で、分離手術を受けたグエン・ドクさんが、ホーチミンで、8月、コンピューター修理販売会社を設立する。
同国で約300万人が苦しんでいるとされる枯れ葉剤の被害者を支援するため、経営が軌道に乗れば障害者を雇用する計画だ。
昨年亡くなった兄のベトさんが入院していた病院で、事務員として働きながら、コンピューターの知識を習得した。友人のタン・パットさんらと数年前から起業に向け準備を進めた。妻のテュエンさんも秘書として手伝うという。(田原徳容・読売)
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ソンミ村の虐殺、の写真を見た。
宇宙船地球号、とは誰が考え付いたものですかね。巧いこと言うな。
すると、こういう事件を見せられちゃうと、同じ船に乗船していながら、どうすることもできなかったんだ、と、妙な感覚に捉われてしまいます。でも、もはや、天国にいったであろう、彼らの生命について、異国民だから、と又避けて忘れようとする。
いや、それもこれも、実は己の無力と非力を痛感するだけなんだけれど、もう彼らは死んだのだから、痛みを感じなくてもいいんだ、と、またまた逃げる。
じゃあ、どうすればいいの。生前の彼らの笑顔を想像すれば。彼らが生き返る訳じゃない。記憶、という方法もある。しかし、それを許可しちゃうと、際限がない。
罪と咎無き者を記憶すべし。
そんなこと、してたら、頭がパンクしてしまう。
ベトナム戦争はあったんだ。こう記憶する、ことにしよう。とりあえず。

紫雲丸事件、があった。でもそれは、日本国内のしかも戦後間もない内海でのことだったろう。あの時、では何故カメラを捨てて、人命救助しなかったか。
同じ軍隊の報道班員では、上官の命令で動く部隊、小隊は、彼報道班員カメラマンが、カメラを捨てて、虐殺を阻止するなんてこと、出来はしまい。こちらは軍人だから。
しかし、明らかに、敵足り得ない者たちを、無抵抗な者たちを、よくもまぁ、彼らが死んだ後まで、シャッターチャンスを待って、撮ったもんだ。軍務だから。
死者からすれば、殺した側で、カメラ持ってただけの、同類としか記憶なく、死んだ。
記憶するだけでもの力があるならば、それをする者は、誰にそうするか。(2011年05月30日)

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5月30日は、アメリカの「メモリアルデー(戦没将兵記念日)」である。
オバマ大統領は、歴代のごとく、献花した。
ある調査機関によると、アフガンで1598人、イラクで4454人、の犠牲者を数える。

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それらの写真に写ってるのは、
眼の上の額に一発銃弾貫通の、若い女の、上目遣いした恐ろしく醜い形相の死に顔。
抗議する老婆とその後ろに隠れた母親の右手にすがりながら恐怖にふるえる顔で口開け泣き叫び寄り添い立つ幼女と黒い野良着のボタンを止めようとする少女らの集まり。
地べたに腰付けたままカメラにしかめ面の老人。
道端で銃撃された身で弟らしきをかばい彼に被さり守ろうとする少年。

死んだのは、一発銃弾貫通の若い女、だけではない。
その村は、無くなったのだから。
皆殺し。
証人を残さない、のは誰の鉄則だって。
だから、あの幼女、その母親、その側の少女、前面に居た老女、皆死んだ。殺された。
地べたの老人も死んだ。殺された。
撃たれた兄とその弟らしきも死んだ。殺された。
とりわけ、
眼の上の額に一発銃弾貫通の、若い女の、上目遣いした恐ろしく醜い形相の死に顔。
若い女の、上目遣いした恐ろしく醜い形相の死に顔。これが、離れない。
想像を超えている。
何で、こんな恐ろしく醜いんだ。上目遣いに意味があるんか。
それは、彼女が受け止めた、戦争が如何に理不尽で不条理で悲惨か、その結末だろう。
上目遣いした恐ろしく醜い、がそれを証明している。そこで、止まったままだ。
彼女は、負の象徴として、止まったまま在る。
丸腰で、無抵抗で、罪も咎も無く、さらしている。
誰かに、重なるな。
いきなり撃たれて、脳死するまでのコンマ何秒で、彼女の何故が天を仰いだのだろうか。
ならば、上目遣いした、を解るとしよう。
恐ろしく醜い、のもそれらを受け止めたからだ。
憎悪とか殺意を、受け止めたからこそ、そうなって、そのまま在る。
職業軍人が、極めて厳しい訓練を受けた者が、武器を使うべきで無い対象に狙撃を、そして凌辱までしたのか。
その、恐ろしく醜い上目遣い、に耐え切れなく、なんとか、修復しようと、試みる。
すると、「祈り」の中に、試みにあわせないで、というくだりがあるので、修復という試みは、使えない。
彼女らは、翼を得て、天国に召されたので、地上に残された死体、もうそれらは何十年も以前に、亡くなったのだから、写真という人が撮った代物に、修復という試みは、ナンセンス。
そして、私も、彼女らが目線で示した、天に顔を向けることとなる。
ソンミ村にも、数人の生存者は居た。
死体の山の下敷きで、危うく致命傷を免れた。彼らも生き証人として、カメラマンの証言と共に、真実を明かした。