40年の不在は、もはや【国難】 である。
横田めぐみ、1977年11月15日、中学校の1年生で、友人と一緒に学校を出たのに、自宅に帰っていない。
いま、どこにいるのかしら? きっと、美しい花に囲まれて・・・。
でも、もう一度、学校と、通学路、そして海、周辺の写真集をみて、その日まで通った学校やお友達を思い出してください!
もちろん、家族のことを。
通学していた学校 寄居中学校(正門前)(1999年撮影)
写真集1 | 学校への通学路 1977年消息をたったところ(?) |
写真集2 | 1999年(自宅付近) 自宅付近から日本海方面 |
自宅付近(当時)から望む日本海
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写真集1
1977年11月15日。
新潟県、寄居中学校の1年生で、放課後の部活を終えて、校門を出たのが、18時30分でしたから暗くなっていました。
すぐに、同級生のひとりを、右に見送って別れました。
さらに、十字路のバス通りを左に渡って、もうひとりの同級生とも別れました。
そして、まっすぐ行くと家なのに、・・・。
通学路
別離
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写真集2
横田めぐみさんが行方不明になって、20数年たってしまいました。
カメラを構えていると、下校途中の小学生の少女がふたり、そのひとりが話し掛けて過ぎた。「横田めぐみさん、知ってる」と聞くと、「聞いたことがある」と答えたので、「きみが生まれる前だよ」と返事した。
当時の自宅へと曲がる角に着いた。
ここから先は、海へつづく。歩いていく。
ミドリの電話機が透けてみえるボックスが目に入る。その左手に鳥居が入る。護国神社だ。あの夜、お母さんが声を限りにわが子を呼んだ場所だ。今も、捜索願いの白い立て看板がある。
さらに海へと歩く。冷えた潮風をおぼえる。
海が見えた。ずんずん眼に入って来る。視界にひらけた。
海岸から、見た。日本海を見た。
20年後の家を望む。
立て看板
画像をクリックすると拡大し、文字がはっきり読めます。
海へ
新世紀をむかえた。なのに、未だ横田めぐみさんが見つからないのが、解せない。
何とも解せない。
だが、あきらめるつもりはない。あきらめようとはおもわない。
( 2001.5.3 記)
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[参考資料]
横田早紀江「めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる」(草思社.1999)
SAPIO「Vol.11 No.11 特集」(小学館.1999)
SAPIO「Vol.12 No.3 特集」(小学館.2000)
野田峯雄「日本人『拉致疑惑』の現場を歩く」(岩波書店「世界」.2001)