かいふう

近未来への展望や、如何に。

ある時代

東西新冷戦。

ウクライナはどうなるのだろう。

_________________________________

_________________________________

ゴルバチョフ初代大統領、死去。

タス通信によると、1991年に崩壊したソ連最後の最高指導者として東西冷戦を終結に導いたミハイル・ゴルバチョフソ連大統領が30日、死去した。91歳だった。入院していたモスクワの病院が明らかにした。

平和記念公園で原爆死没者慰霊碑に献花するゴルバチョフ氏(左)とライサ夫人(1992年4月17日、広島市中区で)
平和記念公園原爆死没者慰霊碑に献花するゴルバチョフ氏(左)とライサ夫人(1992年4月17日、広島市中区で)

 病院は死因を明らかにしていないが「長期間、病気を患っていた」という。タス通信によると、ロシアの大統領報道官は31日未明、プーチン大統領ゴルバチョフ氏に「深い哀悼の意」を表明していることを明らかにした。

 ゴルバチョフ氏は31年、現在のロシア南部スタブロポリ地方の農家に生まれ、モスクワ大学法学部を55年に卒業後、共産党官僚としてエリートコースを歩んだ。

 54歳だった85年、ソ連の最高指導者である共産党書記長に就任した。就任翌年には「ペレストロイカ」(立て直し)を掲げ、共産党の独裁支配で硬直化したソ連の改革を推進し、情報公開(グラスノスチ)も進めた。

 一党独裁を放棄して複数政党制を認める政治改革にも取り組んだ。90年には大統領制を導入し、最初で最後のソ連大統領に自ら就任したが、急激な改革は保守派の反発を買い、深刻なモノ不足など国内に大きな混乱ももたらした。

 対外関係では「新思考外交」を展開し、79年に侵攻したアフガニスタンから軍を撤退させ、東欧の社会主義国に対する支配を放棄した。89年にはブッシュ米大統領(当時)とマルタで会談して冷戦の終結を宣言し、国際社会の構図を、対立から共存へと転換させた。90年にノーベル平和賞を受賞するなど国外での評価が高く、「ゴルビー」の愛称でも親しまれた。

 91年4月には、ソ連の最高首脳として初めて日本を訪問した。海部首相(当時)と署名した「日ソ共同声明」ではソ連の従来の立場を転換し、北方4島の名前を挙げて、領土問題の存在を初めて文書で認めた。

 91年8月の共産党保守派によるクーデター未遂事件では3日間軟禁された。事件を機に躍進したボリス・エリツィン・ロシア共和国大統領(当時)が91年12月のソ連解体を主導し、ゴルバチョフ氏は国家元首の座を追われた。

晩年は入退院を繰り返しながら、核廃絶や環境問題などへの提言活動を続けた。今年2月にロシアがウクライナ侵略を開始した際には、研究機関「ゴルバチョフ財団」を通じ、早期停戦を呼びかけた。強権で批判を封じ込め、米欧との対立を深めるプーチン氏の政治手法も批判していた。(読売)

_______________________________

レーガン米大統領との、頂上対決。アイスランドでの、会談は。第二次世界大戦後の、東西冷戦。鉄のカーテンの、二大超大国が和解の、衆人環視の、固唾を呑む瞬間ではあった。

俳優出身が新大陸の大統領。対して、学生時代、演劇にクラブ活動した、新しい柔軟思考で、祖国を開放しよう、意欲が具現したゴルバチョフ

誰かが、彼をゴルビーと呼んだ。それを、耳にして。何かが、変わる。今度こそ、変わるんだ。

そう、思ったは。私だけではないだろう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

バチカンが半島にあって。二大巨頭が対面対話は、単純だが。

星条旗の彼は、ヨハネ方。片や、パウロでしょう。

英国に近く。通信傍受のリスクを最小限に。アイスランドの選択は、正解。

------------------------------------------------------------------------

名画「第三の男」、「007」シリーズ。「ドクトル・ジバコ」♫、「イワン・デニソビッチの一日」。

少年も、中年まで生きながらえて。

映画館の内、外。扉を開けて。同じ気圧で、ものが見える。

十代で、「サウンド・オブ・ミュージック」♬を視聴した。あの、ワクワク、ドキドキを、思い出さずにはいられなかった。

歴史的、イベントと呼んでいいほど。双方、演じる巧者は。結末は、極めて楽観的。

それを承知の、会談なのだ。

選ばれた、最高が両者。

 

わたしは、至福を感じた。

儀式を経た教会、その会長とも。会話する、話題になっても至極当然。

 

それは、彼らがと共に。共通項があった、と信じたが故ではないか。

________________________________

その時が彼ら。ゴルビーもまた、逝った。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ウクライナ戦争」が現在形、である以上。

戦ってるウクライナ人が、ゴルバチョフに対する評価は、違うだろう。